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江田けんじ 衆議院議員 神奈川8区選出(横浜市青葉区・緑区・都筑区)

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「辺野古での国の代執行」に関して江田のインタビュー記事が掲載されました。

2023年12月29日  tag: , , ,

 「辺野古 国が初の代執行。沖縄に代わり設計変更を承認」と題して、江田が朝日新聞の取材を受けました。記事は以下のとおりです。ぜひお読みください。


朝日新聞(12月29日朝刊二面)「代執行 揺らぐ民主主義」
(抜粋)
 橋本首相当時の政務秘書官、江田憲司氏によると、橋本氏はいとこが沖縄戦で亡くなったことから沖縄に強い思い入れを持っていた。首相に就任した橋本氏は、沖縄の基地負担軽減を最重要課題ととらえ、夜な夜な首相公邸で沖縄関連の資料を読みあさり、江田氏が「沖縄以外のことも少し考えて下さい」と言うほどだった。約二年半の在任中、大田昌秀知事(当時)との面会は夕食も含め20回近くにのぼった。

 日米で「唯一の解決策」と位置づける辺野古移設に疑問を差し挟むことすら許さない政権の強硬ぶりに、江田氏は強い危機感を示す。
「『(沖縄に)上から押しつければいいんだ』という態度だ。安保で勇ましいことを言えば、平和になると考える政治家が増えている」


朝日新聞(12月29日朝刊四面/江田インタビュー記事)

「米に忖度 沖縄への思い見えない首相」
 ――国が初めて地方自治体の事務を代執行する事態になった。
 普天間飛行場の返還は橋本さんが1996年4月、当時のモンデール駐日米国大使との間で合意した。当初は5~7年で返還するという合意だったが、今の状況を橋本さんは草葉の陰で嘆いているだろう。

 ――なぜ橋本氏は沖縄への思いが強かったのか。
 橋本さんは幼少期、継母となじめずに「ぐれていた」時期があった。そんな時「もう少し継母とうまくやれよ」と唯一やさしくしてくれたいとこがいた。そのいとこが沖縄戦で亡くなったのが原点だ。橋本さんは夜な夜な首相公邸で沖縄の資料を読んでいた。外務省が持ってくる資料だけではなく、当時の大田昌秀知事の著作や、自分が見つけた本や資料を読んでいた。2人きりでのひざ詰め談判も含め20回近く大田知事と会談した。

 ――橋本氏はモンデール駐日米大使との普天間飛行場の返還合意に先立つ96年2月、クリントン米大統領との初会談で返還を提起した。
 橋本さんはなかなか切り出せなかったが、クリントン大統領が最後に「何か沖縄問題で言い残したことはあるか」と助け舟を出した。そこで橋本さんは意を決し、返還を求めた。

 ――最近の政権の沖縄への向き合い方をどう見ているか。
 特に第2次安倍政権はひどかったと考えている。翁長雄志氏が2014年12月に沖縄県知事に就任したが、安倍晋三首相が初めて会ったのが翌年4月。軍事的・戦略的な要衝の地にどう向き合うかは、日本の安全保障の最重要課題の一つだ。少なくとも知事が代わった時には、首相から真っ先に沖縄に行き、会うべきだ。最近は沖縄と接点のない人ばかりが首相になっている。「上から押しつければいい」という態度で、「勇ましいことを言っていれば平和になる」と考える政治家が増えている。

 ――代執行を受けて政府は来年1月に着工する見通しだが、米側への引き渡しまでにはその後、12年間かかると見込まれている。
 10年周期で見ると、安全保障環境はガラッと変わる可能性がある。北朝鮮のミサイル能力が向上する中、米国では現状でも「前線基地に海兵隊を置いて大丈夫か」という議論もある。そうした議論を本来、埋め立てが始まる前に米国とも行うべきだった。岸田文雄首相は外相を長く務めたことで、米国への忖度が強く働く「外務省的な発想」が染み込んでいる。沖縄へは何の思い入れも見えない。

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