先日、やっと国葬に関する国会審議が岸田首相出席の下、開かれましたが、皆さん、その説明に納得されましたか?
私は、時の内閣が独断(閣議決定)で、内閣(政府)ではなく「国」が主催する葬儀を強行するということは、この国の統治(ガバナンス)、もっと言えば、民主主義、法治主義の根幹を揺るがす問題だと考えています。
先般の動画でもご説明しましたが、岸田首相が唯一、その法的根拠とするのが下掲の「内閣府設置法」ですが、その解釈は誤りです(8日の朝日新聞でも取り上げられました)。
この設置法は、政府内にいくつもの省庁がある中で、その仕事(所掌事務)の政府内での割り振りを規定するのが主目的の法律なのであって、何か新しい権限を内閣府に付与するものではないのです。
百歩譲って、岸田首相が言うように、この条項を根拠にするにしても、ここで規定された文言を正確に読むと、「国の儀式」が所掌ではなく「国の儀式に関する『事務』に関すること」が所掌なのです。
私も若い頃(官僚時代です)、内閣法制局に百回以上通ってその技術をたたき込まれので、すこし細かな立法技術的な話になりますが、その読み方を解説すると、この規定は「A並びにB及びC]という構図になっています。条文作成技術では、この「並びに」と「及び」は厳格に使い分けられます。
どういうことかと言うと、「A」と「B及びC]が「並びに」でつながれているように一括りで同格。BとCは「及び」でつながれているので、その一段下の区分でBとCが同格ということになります。
したがって、「関する事務」は、この同格の「A」と「B及びC]につながり、ここでは、およそ「国の儀式」と言っても、その実際上の執行事務は政府(内閣府)が行わざるを得ないので、わざわざそう書かれているのです。ですから、この規定が「国の儀式」の決定権まで認めているという解釈は誤りなのです。
また、その補足理由としては、この規定の最後に「他省の所掌に関することを除く。」と書かれているように、「国の儀式」には、内閣府以外の省庁所管のものがあるということも当然の前提とされています。
要は、正当な権限を持つ組織(機関)が「国の儀式」と決めれば、その執行事務は内閣府や他の省庁が実施するという規定に過ぎません。
行政法関係の学者さんが、あれこれ自説を述べられるのは自由ですが、どうしても実際の立法(条文作成)に係わっていないので、こうした立法技術はご存じないのですね。
長々と書きましたが、これは決して細かな「法匪」のような議論ではなく、「国葬」がデュープロセス(民主的正当な手続き)に基づき行われるかどうかの、この国の法治主義、ひいては民主主義の根幹に係わる問題なのです。
参考動画 本当のこと聞きたいなら江田けんじ#18・・・国葬 原点に立ち返って考えてみよう
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