菅首相退陣を招いた横浜市長選の勝因と教訓
2021年9月 6日 tag:
◇菅首相の選挙区でも完勝
8月22日投開票の横浜市長選で、立憲民主党が推薦した無所属候補、山中竹春氏が当選した。横浜に長年、支持基盤があり、現職閣僚を辞してまで立候補した小此木八郎氏に18万票もの大差をつける圧勝だった。
くしくもこの日は、さかのぼること2年前、林文子横浜市長(当時)が、白紙としていた前言を翻し、突然、横浜へのカジノ(IR)誘致を表明した日だった。しかし、この勝利で、菅義偉首相が主導してきた横浜への誘致は、完全についえることとなったのである。
当初は、8人もの候補者乱立で、誰一人、法定得票数(有効投票数の4分の1)を超えることができずに再選挙となることもありうると取りざたされた選挙戦だった。しかし、結果は、山中氏の得票率は3分の1。しかも、横浜市18行政区すべてで勝つ完全制覇とまではいかなかったものの、落としたのは小此木氏の衆院議員時代の選挙区、鶴見区ただ一つ、それも僅差(約1500票差)での負けだった。
その小此木氏を全面支援した菅首相の選挙区(西区・南区・港南区)でも小此木氏の得票は山中氏の得票の約7割(票数では約2万票差)だった。山中氏の擁立に関わった私にとっても、想定以上の勝利だった。
◇勝因分析①......「自民分裂」の結果ではない!
しかし、この圧勝の理由を、一部メディアが報じているような、「自民党の分裂」に求めるのは誤りだ。
まず、たしかに、自民党は小此木氏と林氏に分裂したが、そんなことを言えば、非与党系候補は、分裂どころか、四分五裂の状況だった。そして、その非与党系5人の候補の中には、山中氏よりはるかに知名度の高い候補も複数出ていた。自民党が多選、高齢などの理由で支援しないと通告した林氏が出たのとは比較にならないほどに、「分裂」していたのだ。
また、よく、与党系の小此木、林両氏の得票を合わせた数が、山中氏のそれを上回ったことを指摘する向きもあるが、そんなことを言えば、市長選直前に立憲民主党を離党した候補の得票を山中氏のそれと合わせれば、両者の得票を上回る。
そう、そもそもそんな「結果論」、自民党が分裂しなかったら、といった「たられば」論は、選挙戦では意味をなさないのだ。
あくまで、出そろった候補者の中でいかに勝ち抜くか、それが選挙戦略、戦術というものなのだから。現に、当初はカジノ誘致の是非が問われる選挙戦だったが、小此木氏を含む6人ものカジノ反対候補の出現で、有権者にとっては選挙戦の争点があいまいになっていた。
◇勝因分析②......訴求力ある候補者の選定と運動量
そうしたなかで、今回の一番大きな勝因は何かと問われれば、山中氏の候補としての訴求力と、それを有権者に浸透させる豊富な運動量だったということに尽きる。
私はもともと、この市長選はカジノ反対だけでは勝てないと考えていた。それ以外に、もう一つか二つ、「売り」がある候補を探していた。そこへ、人を介して、市長選に意欲ありと紹介されたのが山中氏だった。
市長選告示日の8月8日はオリンピックの閉会日だ。選挙戦はやはり、コロナ一色になると想定された。そこにぴったりの候補が、コロナワクチンの中和抗体の研究などで全国メディアにも注目されていた山中氏だったのだ。
たしかに知名度はないものの、コロナの専門家である山中氏を候補にすれば、やりようによっては大化けする可能性があると判断した。それが当たりすぎるくらい当たったと言うしかない。
ただ、逆に言えば、いくら菅政権のコロナ失政があったとしても、山中氏以外の候補だったら、と考えると今でもゾッとする。より著名な実績のある非与党系候補に票が流れたかもしれない。
選挙戦では「山中さんは候補者のうち唯一のコロナの専門家。感染爆発を抑え込み、医療崩壊をくい止められるのは山中さんだけ! もう素人の候補には任せられません!」と訴え続けた。当時、横浜市、神奈川県では災害並みに感染が拡大し、一時は重症病床も満床という日が続いていた。終盤戦では、ほとんどカジノ反対には触れなかったほどである。
もちろん、山中氏に格好の売りがあっても、選挙戦では、それを一人でも多くの有権者に浸透させる活動が欠かせない。その意味で、まさに炎天下の酷暑の中、連日展開された山中陣営の運動量は、他陣営の比ではなかった。それが、知名度不足の山中候補を大化けさせた最大の要因だったと言えよう。
その過酷な運動を担ったのは、昨秋のカジノ誘致の是非を住民投票で決する署名運動を主導した市民団体、山中候補を推薦した立憲民主党、自主的支援に回った共産党、社民党、連合、「ハマのドン」こと、藤木幸夫氏ら港湾人の方々だった。
陣営がそうした複合体だったため、選挙の広報物(ポスター、ビラ、選挙カーなど)には、一切、立憲民主党などの政党名を記さず、あくまで市民派候補として山中氏を打ち出した。結果、最年少、清新な候補者の魅力も手伝って、無党派層から約4割(小此木、林両候補は1割前後)もの得票ができたのである。
◇国政選挙への教訓
人口規模(約380万人)では日本最大の市、横浜市ではあっても、その市長選は、たしかに一地方選にすぎないのかもしれない。しかし、それをわざわざ国政レベルの政局にしたのは、他ならぬ、横浜を選挙区とする菅首相自身であった。
私は当初、自民党が分裂、自主投票という流れの中で、菅首相は市長選には介入しないと思っていた。しかし、地元のタウン誌にでかでかと小此木氏との対談記事を載せ、また、自民党役員会で小此木氏支援を自ら要請するなど、旗幟(きし)を鮮明にしたからこそ、一地方選にここまでの全国的注目が集まったのである。
この首相のおひざ元での惨敗は、ここで私がうんぬんするまでもなく、超ド級のインパクトで自民党内を揺り動かしている。結果、9月3日、管首相の総裁選不出馬の表明になったのである。
一方で、立憲民主党の支持率が上がっていないことも事実だ。残念ながら、立憲民主党がまだ、自民党に代わる受け皿と国民に認められてはいない証左だろう。
しかし、これまでいくつかの政党を作ってきた私としては、やはり、この局面では、野党第1党が頑張るしかないと考えている。では、どうすれば、受け皿たり得るか。それは、衆院選が政権選択選挙である以上、山中候補のように、まさに有権者の思い、ニーズ、不満などに応えられる政権の枠組みと、そこに訴求する政策をいかに打ち出せるかにかかっているのではないか。
特に、政策については、現下のコロナ禍から国民を守る緊急対策を、政府・与党との対比で明確に提示していく。そして、コロナ後の経済社会のビジョンも描いていく。党の経済政策の責任者である私は、アベノミクスに代わる経済政策を財源付きで出していく。
そして、言うまでもないことだが、選挙に勝つためには、日ごろからの地道な選挙区での活動の積み重ねが大事だ。この点においては、正直、自民党に劣る候補が多い。今回の市長選の勝利が、昨秋からの署名運動の下敷き、基盤の上に、選挙戦での豊富な運動量を重ねてもたらされたという教訓を忘れてはいけない。
最後に、こうして選ばれた山中新市長の職責は極めて重い。早急に、その専門性を生かし、このコロナ禍から横浜市民を救う「山中(横浜)モデル」を打ち出し、それを全国に波及させていただきたいものだ。
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