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接待問題の本質。利権官庁・総務省(旧郵政省)の解体を...次の省庁再々編の課題

2021年3月18日  tag:

政治プレミア.JPG 今年は、あの大震災10年の節目でもありますが、中央省庁再編20年でもあります。
 正直、この再編は、橋本首相、小里総務庁長官と私の「御前会議」で大きな方針を決めていたので、まだまだその「真実」が明らかにされていないところがあります。

 私も、政治家を辞めて時間の余裕ができたときに、是非とも将来の再々編のために、一冊本を書こう、それが歴史的使命だとも、口幅ったいですが、思っているのですが、なかなかかないません。

 今、菅首相の内閣人事局の「悪用」、総務省のあり方等々色々問題が起こっています。言いたいことはいっぱいありますが、とりあえず、過去の某全国紙インタビューをここで掲載させていたきます。
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 中央省庁再編(97年)大蔵改革、抵抗振り切る

                        元橋本首相政務秘書官 江田憲司氏 2012年5月10日

――政務秘書官を務めた橋本龍太郎首相が中央省庁再編をやることにしたのはなぜですか。
 阪神大震災の危機管理対応への反省や、当時あった首都機能移転問題とのからみがあった。ただ、タイミングは消費増税との関係が大きかった。増税には身を切る改革が不可欠。1996年秋の解散総選挙前の9月に省庁再編など『橋本5大改革』をまとめた。
 「5大改革」は自民党や霞が関と全く調整せず、首相と秘書官5人のチームで作った。省庁再編は私が提案した。通産省時代に行政改革を長く担当し、ずっと霞が関改革をしたかった。

縦割り行政排除

――橋本首相がこだわったのはどんな点ですか。
 今でいう政治主導の体制づくりと縦割り行政の排除だ。省益を代弁する事務秘書官は入れず、橋本首相と官房長官、政務の副長官と総務庁長官、私で構成する『御前会議』で方針を固めた。表向き再編案を練る『行政改革会議』では官邸機能、大蔵省改革、郵政民営化、公共事業一元化が主要論点となり、御前会議はそれを方向付けする役割を果たした。

――霞が関は強い抵抗を見せました。
 地獄のような日々だった。表と裏で大権力闘争があり、特に激しかったのが大蔵省との関係だ。当時は『大蔵改革なくして行革なし』といわれた。大蔵省は事務次官や官房長はもとより橋本首相と親しい次官OBも動いた。そんな表の動きとは別に課長らの裏部隊が政治家やオピニオンリーダーに大蔵改革に反対するよう根回ししていた。

――財政と金融の分離が焦点の一つになりました。
 大蔵省不祥事の後、金融検査だけを移管する金融監督庁構想がくすぶっていたが、省庁再編では、金融政策の企画立案や許認可まで移行する完全分離が焦点になった。橋本首相も当初は『金融危機時の財政出動との関係』で逡巡(しゅんじゅん)したが、最終的には決断された。
 官邸に置く『経済財政諮問会議』に予算編成の基本方針・枠組みの策定権限を持たせるため『財政』の2文字を入れるのにも苦労した。『財政は経済の一類型だから経済諮問会議でいい』という事務局案を橋本首相が3回突き返してようやく財政が入った。
 しかし、その後起こった金融危機対応に追われる中で、経済財政諮問会議も単なる審議会に格下げされてしまった。

宮沢氏が拒否

――財務省への名称変更も難題でした。
 政府・与党の会議では自民党幹部が『また大蔵バッシングか』と反対した。いま省庁の正面にかかっている看板は再編時の閣僚の揮毫(きごう)だが、財務省だけはコンピューターグラフィックス。大蔵省出身の当時の宮沢喜一財務相が拒否したからだ。そのくらい『大蔵省』の名前に思い入れがあった。

――省庁再編を振り返ってどう評価しますか。
 政治主導や官邸機能の強化はできたと思う。ただ個別の省庁には問題もある。寄り合い所帯の総務省は失敗作だ。自治省は地方分権庁にして内閣府に置き、郵政省と通産省の情報通信行政は一元化したかった。国土交通省も本省は企画立案業務に限り、具体的な公共事業の実施権限は地方に任せたかった。

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