連載/日米自動車交渉秘録⑥・・・急転直下の決着
2017年2月23日 tag:
95年6月28日(水)ジュネーブ最終交渉 急転直下の決着
いずれにせよ、今日が最終日になるだろう。
大臣は朝6時半に起き8時から朝食という。念のための体制を整える。案の定7時半ごろ坂本審議官から、電話。デプチィ(注:次官級)が行き詰まって前に進めない。8時30分か9時に大臣とテタテをやりたいとのこと。そのうち渡辺局長がボランタリープランの数字を持って大臣スイートへ。これが8時前。
8時45分テタテ。各社ごとの数字を見せる。ボランタリープランの修文、ディーラーシップの修文が出る。両大臣のウェルカムも削除し、カンターのエスティメイト(見積もり)は最後に回すという。デプチィですぐ検討させる。私自身はカンターのエスティメイトは、アペンディックス(本文ではなく別紙)にして橋本は関知しないというような形でやればぎりぎりかと思いながらホテル。
カンターによればクリントンと11時に電話するので、11時15分までに来てくれとのこと。ここでクリントンからどう指示を得るか、これがポイント。総理にもそう報告する。
11時15分カンターとテタテ。その中に私が通訳兼務で入る。進ちょくがある。日本の提案にヘルプフルと極めていい雰囲気。その後デプティーの会議に大臣と2人で入り、カンターが1つの修正をしてアクセプト。シャピロ(注/次席代表)も。私たちにはまだ大きな開きがあるという説明をしたにもかかわらず、簡単にアクセプト。
内容は、ボランタリープランのエスティメイトは別紙にし、しかも日本は全く関知しないという紙が取れた。これで交渉は一気に加速。
この後USTRの控室で延々と2時間30分。大臣、江田、渡辺などで待つ。私がカンターを呼びに行ってやっとくる。15時30分ごろと思ったが互いに残り少ない問題があるのみとの話。
ただし、ここでハプニング。シャピロのメモをもらったカンターが301は取り下げるがWTO提訴は取り下げるのか。大臣は佐野理論でノーとハッキリという。やれやれこの場にいたって何と言うことだ。カンターもこんな歴史的な合意をした後でなぜそんなことをいうのか信じがたい。
米国側が出た後、江田に「どう思うか」と大臣。坂本がオーソドックスに行けば訴えの対象がなくなったのだからWTO取り下げ、大臣も俺もそう思うと言い、すぐカンターとテタテ。
話はトントン拍子で6時30分記者会見、クリントンはその後ボランタリーブランの発表は日本にまかせるということに。これで決着。6時30分の記者会見では1枚紙しか届かずヒヤヒヤしたが終わり、ローザンヌのレストランで食事へ。その後ゆっくり。
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