連載/日米自動車交渉秘録?・・・ジュネーブ最終交渉に出発
2017年2月21日 tag:
95年6月26日(月)ジュネーブ最終交渉に出発
自動車交渉へ出発。本日ルフトハンザ10時40分発・フランクフルト経由ジュネーブへ。カンターとの最終局面での閣僚交渉に臨む。
昨日の打ち合わせで細川局長(注/通商政策局長)の言う通り、現地勢は若干のくたびれと相手方との意思疎通の積み重ねもあって、アメリカ側のペースに乗っているように見受けられ心配。少しおかしい兆候。これをいみじくも細川が指摘。僕も全く同感であると申し上げた。
とにかく成田への車の中で江田が大臣に申し上げたのは、長期的な国益、大臣自身のことを考えれば今回は決裂でも損は少なくともしない。もちろん合意に向け最大限努力するにしても米国の足元も揺らぎ苦しい状況に思いをいたすべし。大臣より、いかに相手に席を立たすかだ。だれにも分かりやすい表現で第三者(EU、アジア)も納得する合意である必要。この際官庁美学はだめ。江田から、坂本、渡辺はいろいろ理屈で妥協を迫ることもあるが受けてはいけない。その通りと大臣。
豊田(注/米州大洋州課長)に聞けというのは、豊田がガットロジストだからだ。特にグローバリゼーションプランは危ない。相当うまく書き込まないと、EU、アジアとの関係で危ないし、WTOルール上も問題が出てくる。気をつけた方がいい。細川がいいたかったこともその点。大臣、なるほどね。
とにかく18時30分ホテル(ノガヒルトン)着。20時30分よりUSTRビルで第1回交渉が始まる。3時間少し。進展は全くなし。
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