シリーズ⑦/日本には「大義なきイラク戦争」への総括がない・・・賛成・支持した政治家に安保を語る資格はあるか?
2015年11月16日 tag:
(注:開戦当時の記述です/拙著「小泉政治の正体」/PHP2004年11月刊より)
人的貢献の関連で、最近よく、「湾岸戦争のトラウマ」のことが引き合いに出される。湾岸戦争時、国民に増税まで求めて、一三〇億ドルもの巨額な資金を拠出したにもかかわらず、当時の国際社会から評価されなかったことだ。
それを象徴する出来事として、当事国クウェートが、戦争終結後に、米国の新聞に出した感謝広告の一件があげられる。少数ながら軍隊を派遣した「コリア」を含む三十数ヶ国の国名が記されていたにもかかわらず、「ジャパン」という文字がなかったのである。
また、ある日本人が、米国の友人に、なぜこれだけのお金を出したのに評価されないのかを問いただしたところ、「じゃあ、お前に一〇〇$やるから、お前の息子を戦場に送ってくれよ」と言われて、ぐうの音も出なかったという逸話も残っている。一三〇億ドルは、日本人一人当たりに換算すると一〇〇$だ。
「カネは出すが汗をかかない」日本に対する、残念ながら、それが評価だった。この「心の傷」(トラウマ)があまりに深かったものだから、イラク戦争では二度と同じ轍は踏まない、資金的貢献だけでなく人的貢献を、しかも、自衛隊派遣まで踏み込まなければという議論がされるのである。「湾岸戦争のトラウマを忘れるな!」である。
確かに、それはそうだが、イラク戦争と湾岸戦争とでは、その本質が全く異なることに留意しなければならない。既に述べたように、湾岸戦争では、イラクのクウェート侵略という明白な国際法違反があり、それに対して国連決議という錦の御旗、国際社会の総意を取り付けた上で、多国籍軍を派遣したのである。
そういう正当性ある、大義ある戦争に、不幸なことに、日本はカネは出したが汗はかかなかった。湾岸戦争後、掃海艇をペルシャ湾に派遣して、玄人筋では大変評価はされたが、後の祭りだった。世界が注目した現場に、自衛隊派遣を含む人的貢献が十分にできなかったのである。当時、官邸にいた私は、地団駄を踏んでくやしい思いをしたものだ。
しかし、今回のイラク戦争には、大義である国連決議もなければ、大量破壊兵器の発見も未だない。皮肉めいて言えば、湾岸戦争の時こそ、海部首相ではなく小泉首相だったらよかったのである。
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