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シリーズ「集団的自衛権」を考える・・・⑬「個別的自衛権」と「集団的自衛権」の限界領域が重なってきた

2014年7月28日  tag:

 国際標準の概念整理と日本政府見解の概念整理の違いは、これまで説明したとおりだが、それをさらにわかりにくくしているのが、近時の核や弾道ミサイル等の武器技術の飛躍的な進展だ。


 パネル④のように、たしかに、通常兵器しかもっていなかった時代、たとえば、大戦前の状況では、「個別」「集団」ははっきり分かれていた。それが武器技術の進展で図のように交わる(重なり合う)ようになってきたのだ。

核・ミサイル等武器技術の進展.jpg

 例をあげよう。日本海で米国の艦船が攻撃されたとする。昔なら、対艦砲でボンと大砲の玉を当てただろうが、そんな玉が日本まで届きようがない。したがって、その場合、日本が米艦を守るのは明らかに「集団的自衛権」(他国を守る権利)なのだ。


 今はどうか。北朝鮮のノドンミサイルが200発以上、日本に向けられている状況下で、同じように米艦がミサイル攻撃された。その場合は、同時に(少し遅れて)日本本土、在日米軍基地がミサイル攻撃される蓋然性が高いだろう。米軍基地から一斉反撃されるのがわかっているのに、同時にそこを叩かない間抜けな司令官は北朝鮮にもいないからだ。


 したがって、こうした状況は、まさに日本への「武力攻撃が切迫」(現行防衛出動の「切迫」事態)していると言える。だから、その米艦を守るのは「個別的自衛権」に当たると言えるのだ。ただ、それは見方によっては「集団的自衛権」と言えなくもない。ここが難しいところで「限界領域」の部分なのだ。


 こうした議論は、何も我々結いの党だけがしているわけではない。国際法の権威である中谷東大大学院教授も同様の指摘(中谷和弘「集団的自衛権と国際法」村瀬信也編『自衛権の現代的展開』東信堂2007年、50頁。)をしている。具体的に、日本のために派遣された公海上の米艦防護、シーレーン上の船舶の安全確保、そしてミサイル防衛等を例にあげて、「集団的自衛権の外縁」を論じている。個別的自衛権か集団的自衛権かは「現実には区別が相対化される場合もある」としているのだ。まさに、今の日本の国会やマスコミに完全に欠けている視点だろう。


 そういう意味で、維新と結いは、この図の橙色の斜線の部分は、自衛隊を防衛出動させ、この国を守るという点では完全に一致している。ただ、維新は、従来の政府解釈(狭い個別的自衛権)を前提として「集団的自衛権の限定容認」に踏み込むべきだと主張していた。一方、結いは、国際標準(広い個別的自衛権)に合わせれば、それは「個別的自衛権の適正化」で十分対応できるとしてきた。概念整理の前提が違っていただけで言っていることは同じだったのだ。


 だから、維新で違いがある、齟齬があるとメディアが散々批判するのはフェアーではないだろう。我々が政権をとっても、自衛隊への指揮命令、オペレーションではまったく齟齬がないからだ。


 それより、現実の安全保障、危機管理を担い、日々、それに直面している政府与党、自民党と公明党の間で具体的対応に差(機雷掃海や集団安全保障への対応)がある方がよほど国民にとっては深刻なことではないか。メディアが突くべきなのは、まさにその点であるべきだろう。

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