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江田けんじ 衆議院議員 神奈川8区選出(横浜市青葉区・緑区・都筑区)

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シリーズ:「集団的自衛権」を考える・・・⑦「先制的自衛」「武力行使の着手」という概念を駆使

2014年6月16日  tag:

 どういう立場に立とうとも、これまで「集団的自衛権は保有するが行使できない」という政府(公権)解釈が、好むと好まざるとを問わず、「憲法上の歯止め」として機能してきたことは歴然とした事実であろう。今、この「集団的自衛権の行使」をめぐって「ああだこうだ」と議論が沸騰しているのも、こうした「歯止め」があったからに他ならない。


 自民党政権も含め歴代政権が、「非戦闘地域」とか「武力行使一体化論」とか「後方地域支援」とか、時には危ない橋も渡りながら、この解釈との「辻褄合わせ」をしてきたのも、その良し悪しは別にして、この憲法上の歯止めがあったからだ。
 

 それが「限定容認」という形であれ、「集団的自衛権」も憲法上認められているという解釈に変更されると、すなわち、一線を越えて「ルビコン川」を渡ると、もはや政治家はそうした面倒くさい議論はしなくなるだろう。それが「蟻の一穴」論にある一定の説得力がある理由だ。これに、米国の戦争に際限なく付き合わされることになる、米国の要求をこれまで日本は断ったことがあるのか、断れるのか、という現実の米との力関係論が加わる。


 だからこそ、私はなるべく、これまでの政府解釈を軍事の現場に照らして、近時の軍事技術の進展に応じて、「補正」「適正化」することで、現実の安全保障上の要求に応えることはできないか、という途を探ってきているのだ。何が何でもこの際「集団的自衛権」を認めさせよう、それで歴史に名を残したいと思っている御仁はともかく、中国の海洋進出や北朝鮮の核・ミサイル開発等の東アジアの安全保障環境の激変等に応じ、これまでの憲法解釈との「論理的整合性」を保ちながら、国民の生命・財産を守る、領土・領空・領海を守る論理構成、概念整理はできないものかと真剣に検討しているのである。


 その意味で、これまでの「個別的自衛権」の解釈を、「先制的自衛」あるいは「武力行使の着手」という概念を駆使して「適正化」することはできないだろうか。前者の例は、これまでの内閣法制局の解釈でも、例えば、北朝鮮が「東京を火の海にするぞ」と宣言してミサイルに燃料を注入した段階で、「坐して死を待つ」のではなく「先制的」にそのミサイルを叩くことはできるとしている。最近の軍事技術の進展で「先制的」に自衛のための武力行使をしなければ「坐して死を待つ」ことになる事例が増えてきているのではないか。


 また、安倍首相がしきりに強調する「米艦防護」についても、「邦人が乗艦」していようがいまいが、少なくとも日本海や日本近海で米韓が攻撃された場合には、それを日本への「武力行使の着手」と評価して「個別的自衛権」を行使することも許されると解釈できるのではないか。


 ただ、北朝鮮のノドンミサイルが200発以上日本に向いている状況の中で、一体、米艦(たとえばイージス艦)だけを攻撃する間抜けな司令官がいるだろうか?当然、米軍、特に在日米軍からの総反撃が予想される中で、同時に、その在日米軍基地にもミサイル攻撃がされると考える方がはるかに現実的だろう。であるなら、この「米艦のみ攻撃」してくる場合の「米艦防護」の事例は現実味に乏しく、仮にそうなれば日本をも巻き込んだ全面戦争さえ想定される事態であり、当然、日本は「個別的自衛権」の行使として応戦できることになるのではないか。


 さらに、安倍首相が特掲するPKO活動における「駆けつけ警護」については、憲法9条の枠組み(「集団的」「個別的」自衛権の論理)ではなく、国連決議に基づく「集団的安全保障」の枠組みであり、かつ、PKO部隊は、「紛争当事者の停戦合意」や「受け入れ合意」を前提に派遣されるものである以上、憲法上にいう「国または国に準ずる組織」から攻撃を受けるという事態は、あるとしても例外的場合だろう。現実には、周辺の反政府分子やテロ集団、盗賊等から攻撃がなされる場合が「原則」であり、そうであるなら、それに対する「武器使用」(駆けつけ警護)は憲法で言う「武力行使」ではなく、通常の「警察権」の範囲で対応可能、すなわち、原則認められるという解釈に変更すべきではないか。


 こういう形で、今、結いの党では、自公協議で政府から出された15事例について精査しているところである。こうした戦後の安全保障政策の大転換を意味する解釈変更については、十分時間をかけてかけすぎということはない。ましてや、この一時ですら、どんな緊急事態が起こるかわからない状況の中で、危機管理、国民の生命・財産を守る責任と権限を持っている政府与党ですら、まだ結論を出していない中で、まったく何の権限を持たない、すなわち、自衛隊や海上保安庁への指揮命令権限を持たない野党が性急に結論を急ぐ問題でもなかろう。野党も含めて徹底した国会審議をし、与野党の個別の党首会談もした上で、国民的理解を得た上で決すべき問題だと考える。


<<バックナンバー>>
「集団的自衛権」を考える・・・①「限定容認」か?「個別的自衛権の解釈適正化」か?(2014年04月14日号)
「集団的自衛権」を考える・・・②自衛隊の海外派遣(派兵)にはしっかりとした歯止めが必要(2014年04月21日号)
「集団的自衛権」を考える・・・③日本にはイラク戦争の総括がない!(2014年04月28日号)
「集団的自衛権」を考える・・・④解釈改憲する方に重い挙証責任(2014年05月12日号)
「集団的自衛権」を考える・・・⑤なぜ「集団的自衛権」でない事例を掲げたのか?(「安保法制懇」報告を受けた安倍首相会見)
「集団的自衛権」を考える・・・⑥法律ではなく憲法上の歯止め必要(2014年06月9日号)

シリーズ:「集団的自衛権」を考える・・・⑥法律ではなく憲法上の歯止め必要
シリーズ:「集団的自衛権」を考える・・・⑧集団的自衛権を持ち出すまでもない(米艦防護や弾道ミサイル迎撃)