シリーズ:「集団的自衛権」を考える・・・⑤なぜ「集団的自衛権」でない事例を掲げたのか?(「安保法制懇」報告を受けた安倍首相会見)
2014年5月19日 tag:
先週、「安保法制懇」の報告書が出され、それを受けて安倍首相が従来の憲法解釈の変更、すなわち「集団的自衛権の限定容認」に向けて、与党協議をスタートさせることを表明した。
確かに、昨今の安全保障環境の変化であるとか、軍事技術の飛躍的進展等に応じて、国民の生命・財産や領土・領空・領海をしっかりと守っていくことは、国民から負託を受けた政治家の最大の責務であり、安倍首相に言われるまでもない。
しかし、この問題が、戦後の我が国の安全保障政策の大転換であり、かつ、憲法改正にも匹敵するような国政の根幹にかかわる問題である以上、単に、安倍政権が与党、公明党だけと協議して「閣議決定」で決めてしまうような問題では絶対にない。こうした国論を二分する問題では、徹底的に国会審議を尽くし、与党だけでなく野党とも丁寧に協議(個別の党首会談を含め)し、その過程で、問題状況や論点を整理し、国民に判断材料を提供した上で、その国民の理解、納得を得て最終決定すべき問題だろう。これまでの自民党政権でも、私が知る限り、過去、ことこうした安全保障に係る問題では、そうした努力をしてきた。
こう申し上げた上で、この報告書にもあるように、日本に今、喫緊に求められている、尖閣防衛の問題を含めた武力攻撃事態に至らない「グレーゾーン」への対応、方策の整備については、今後、最優先課題として検討を急ぐべきだろう。この点については結いの党も必要不可欠だと考えており、国会審議等を通じてしっかり成案を得ていきたい。
また、国際社会からの要請に応えるという意味では、国連による「集団安全保障」における我が自衛隊の部隊としての効果的な運用、その武器使用基準の問題についても、PKO活動等の現場のニーズに則して前向きに検討してまいりたい。
ただ、焦点の「集団的自衛権の限定容認」については、私は、以上のような安全保障上の要請に、これまでの憲法解釈の「適正化」や「延長線上」で応えられるのなら、それに越したことはないと考えている。いやしくも何十年にもわたって、自民党政権を含む歴代政権が営々と築き上げてきた憲法解釈、その「憲法上の歯止め」は、立憲主義、憲法の最高法規性、規範性、法的安定性等の観点から、維持できるならその方が良いに決まっているからだ。
確かに、従来、内閣法制局を中心に下してきた「個別的自衛権」の解釈の中には、軍事の現場あるいは自衛隊のオペレーション上からして、現実離れした、杓子定規的な解釈があったことも否めない。それを是正していく、すなわち「適正化」していく過程で、私は、少なくとも今の時点では、指摘されているような具体的事例については対応できるのではないかと考えている。
だから、それを越えて、従来の「憲法上の歯止め」を外す、「ルビコン河を渡る」と言うなら、その「挙証責任」は変えようという政権側にあると言いたい。その意味で今回、安保法制懇で初めて正式にその具体的事例が示されたということは、その議論のスタートラインにやっと立てたとは評価はできよう。
ただ、安倍首相が会見で掲げた二つの事例、すなわち、「邦人輸送のための米艦防護」、あるいは「PKOにおける駆けつけ警護」については、どちらも「個別的自衛権」や「警察権」の解釈の適正化で対応できる事例だ。
まず「邦人輸送する米艦防護」。邦人救助・輸送を米艦が行うというシチュエーションが現実的かという問題はさておき、仮にそうなれば、それは「集団的自衛権」ではなく「個別的自衛権」の問題だ。その米艦が相手国から攻撃されたとすると、それは日本(邦人)への攻撃と見なせるからだ。また、それを外国での邦人救助、輸送の問題として捉えると、過去の政府答弁(もちろん種々前提条件はある)からも、邦人を守るための自衛隊の必要最小限の「武力行使」は「個別的自衛権」として認められる場合がある。この場合、「米艦」=「外国」と考えれば、そのアナロジーで捉えられよう。さらに言えば、こうした事態が日本海等日本の近海で起こるとすれば、状況によっては、既に日本との戦争状態になっている、すくなくとも日本への「武力行使の着手」と評価される場合も多いだろう。そうなら「集団的自衛権」を論じるまでもない。
PKOの「駆けつけ警護」。これは明らかに、憲法第9条、「集団的自衛権」の問題ではなく、国連の「集団安全保障」下における「警察権」行使の問題だ。確かにこれまでは「内閣法制局」の杓子定規な解釈で認められてこなかったが、PKOが「主要紛争当事者の停戦合意」と「受入れ同意」を前提に国連から派遣されるものである以上、仮に、自衛隊と離れた所にいる他国部隊やNGOが攻撃された場合には、それが「国またはそれに準ずる組織」からの攻撃と考える方が例外だろう。であれば、それに対する武器使用は少なくとも9条の「武力行使」には当たらないから、「警察権」の範囲で「駆けつけ警護」はできると解せられる。また、「国に準ずる組織」を従来、内閣法制局は「ある一定の地域を支配する部族」のようなものも含むと解してきたようだが、これもどこまで妥当性のある解釈なのか。PKOの性格、本質上、先にふれたように、それが主要な紛争当事者の停戦合意と受入れ同意に基づき派遣される以上、攻撃があるとしたら、通常は近隣の反乱分子、反政府勢力のテロ行為等であり、それに対する「武器使用」は「警察権」の行使であって、それには受け入れ国の同意もあると見做せるだろう。いずれにせよ、「集団的自衛権」の問題でないことだけは確かだ。
私は、こうやって、一つ一つ、安保法制懇で掲げられた個別具体的ケースを精査すべきと言っているのだ。その結果、どうしても「集団的自衛権」でしか説明できないケースがあり、かつ、それが日本の安全保障上、真にクリティカル(死活的)な事態であれば、私も検討するにやぶさかではない。次週以降、こうした具体的事例、ケースに即して、精緻に、その現実可能性(事例にリアリティーがあるか否か)、法定評価等について精査していきたい。(続く)
<<参考>>
代表記者会見(5/15)・・・安倍総理会見を受けて
代表記者会見(5/15)・・・安保法制懇報告書を受けて
<<バックナンバー>>
「集団的自衛権」を考える・・・①「限定容認」か?「個別的自衛権の解釈適正化」か?(2014年04月14日号)
「集団的自衛権」を考える・・・②自衛隊の海外派遣(派兵)にはしっかりとした歯止めが必要(2014年04月21日号)
「集団的自衛権」を考える・・・③日本にはイラク戦争の総括がない!(2014年04月28日号)
「集団的自衛権」を考える・・・④解釈改憲する方に重い挙証責任
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