シリーズ:「集団的自衛権」を考える・・・③日本にはイラク戦争の総括がない!
2014年4月28日 tag:
戦争というのは、言うまでもなく「人と人の殺し合い」だ。特に罪のない民衆に悲惨な結末をもたらす。本来、ぎりぎりの外交的手段を尽くし、最終最後の手段として行使されるべきものだ。
そして、その場合も、国際社会のルールにのっとる必要がある。そう、武力行使が国際法上許されるのは、「自衛権の行使(自衛戦争)」か「国連決議による場合」に限られる。これは政府の公式見解であり、国際法上の常識でもある。
90年の湾岸戦争は「国連決議」に基づく国際法上正当性のある戦争だった。だから本来なら、内閣法制局の見解にしたがっても、「武力行使と一体」ではない「後方支援」には自衛隊を派遣できたはずである。しかし、当時の海部政権は決断できなかった。いま振り返っても痛恨の極みである。
「カネは出すが汗をかかない」、のちに、クウェートがニューヨークの新聞に出した感謝広告には数十カ国の国名を挙げたが、その中に130億ドル(国民一人あたり100ドル)も出したジャパンの文字はなかった。これが「湾岸戦争のトラウマ」と称されるものだ。当時、私は通産省から官邸に出向して、このトラウマを存分に味わった口である。
しかし、このトラウマはその後、歪んだ判断につながった。小泉政権は、国連決議もなければ自衛戦争でもないイラク戦争を支持し、自衛隊を派遣したのだ。先進諸国の判断は、イギリスを除き賢明だった。国連常任理事国のフランスとロシア、中国が反対し、ドイツも反対した。国連のアナン事務総長(当時)も、「新たな決議なしの攻撃は違法」と断じた。
この戦争の是非はいまや明白だ。イラクでは大量破壊兵器も見つからなかったし、アルカイダとの共謀も認められなかった。アメリカが掲げた戦争の正当化理由が全部否定されたのだ。
すなわち、イラクが米国に「急迫不正の侵害」をする脅威が当時あったとは言えず、また、イラクが9.11テロに関与した証拠もなかった以上、イラク戦争は「自衛権の行使」とは認められない。常任理事国のフランス、ロシア、中国が戦争自体に反対していたのだから「新たな国連決議」もない。だからこそ、アメリカと小泉政権は、まったく状況の違う10年以上も前の湾岸戦争当時の旧い国連決議を引っ張ってきて、自衛隊派遣を正当化するというペテンを弄したのだ。
要するに「有志連合」とアメリカが称して、何の国際法の根拠もなく始めた戦争だった。もしこれを個人がやれば明らかに犯罪である。サダムフセインは確かに殺人犯だ。過去、イランとの戦争や少数民族のクルド人に生物化学兵器も使った。だが、たとえ殺人犯でも勝手に殺してはいけないというのが近代国家、法治社会のルールである。
これを許してしまえば、今後、いろいろな国が自分の都合のいい理屈をつけて他国を攻撃していいということになってしまう。現に、イスラエル、パレスチナでは、互いをテロリストと呼んで際限なき「自衛戦争」をしている。冷戦後は、そうでなくとも民族や宗教等による地域紛争が激化する。世界が無秩序状態になれば、こういった悲劇があちらこちらで起きてくる。
最近ではウクライナ紛争が典型であろう。ロシアの立場に立てば、あの時、米国が何をしたのかと言いたいところだろう。一旦、こうした国際秩序が崩れれば、それは泥沼の連鎖に陥る可能性が高いのだ。イラク戦争の総括は、こういう今後の世界秩序形成にあたっても死活的な重要性を持っていることを肝に銘じなければならない。(続く)
<<バックナンバー>>
「集団的自衛権」を考える・・・①「限定容認」か?「個別的自衛権の解釈適正化」か?(2014年04月14日号)
「集団的自衛権」を考える・・・②自衛隊の海外派遣(派兵)にはしっかりとした歯止めが必要(2014年04月21日号)
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