シリーズ:「集団的自衛権」を考える・・・②自衛隊の海外派遣(派兵)にはしっかりとした歯止めが必要
2014年4月21日 tag:
私はかつて、安倍首相ほどではないが、安全保障では右寄りだった。若手(30代)の通産官僚だった頃のことだ。当時は、集団的自衛権を認めて「普通の国」になったほうがいい、海外にも積極的に自衛隊を派遣(派兵)すべきだ、と考えていた。
しかし、その考え方が、政治の現状を見ない、薄っぺらいものであることに気づいたのは、官邸の中で、政権中枢の政策立案などに携わるようになってからだ。政治家があまりにも安全保障や軍事などの専門知識に疎く、経験もないことを実感したからである。だから、この議論は「観念論」「机上の空論」であってはならないと思っている。
思えば、私が最初に官邸に入ったのは、1990年夏のことだった。当時は海部政権の後半、通産省から内閣参事官室(現内閣総務官室)に副参事官として出向した私は、赴任のひと月後、いきなり試練に直面した。その年の8月2日、イラクがクウェートに侵攻したのである。紆余曲折を経て、数ヶ月後には米軍をはじめとした多国籍軍とイラク軍との間で湾岸戦争が勃発。日本は中東への原油依存率が高いという理由で、増税までして合計130億ドルを拠出した。そして、「カネ」だけでなく「汗を流せ」という国際的な要請に応えて、92年には、PKO(国連平和維持活動)協力法を、野党の牛歩戦術もあったが、三日三晩徹夜して成立させた。宮澤政権の時だった。その間、私は総理が行う演説の草稿づくりや官邸の国会対策に携わりながら、こうした政治をじかに経験することができた。
その後、一旦通産省に戻ったが、94年6月、橋本龍太郎氏が通産大臣に就任したとき、その事務秘書官となり、二年後の96年1月には橋本氏が総理大臣にそのまま就任したので、こんどは政治担当の総理秘書官に就任したのだ。
橋本政権発足当初、日本とアメリカは、クリントン大統領との間で日米新安保宣言(96年4月)を交わし、それに基づいてガイドライン、つまり周辺事態法の策定をスタートさせた。橋本首相自ら執務室に外務・防衛の事務当局を呼び、来る日も来る日も逐条的に法案策定作業をした。それに私は秘書官として参画した。
たとえば「中台危機」となれば、米軍は日米安保条約の極東条項があるので、すぐさま動き出す。「周辺事態」とは、「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」のことだ。表向き「地理的概念」ではないとはいえ、朝鮮半島が動乱すれば、そうした事態もこれに当たる。
そうした状況の中で、自衛隊が米軍の後方支援などをどの範囲までできるかを定めたのが周辺事態法なのだ。いわば、それまで日米安保で日米協力の大まかな枠組みはあったものの、実際、そうした事態が起きた時、日米でどういうオペレーションをして良いのか、その具体的中身が決まっていなかった。その空白を埋めたのがこの法律だった。
当時の民主党はこの法律を「集団的自衛権」に踏み込むもので憲法違反と反対した。しかし、「周辺事態」を「放置すれば日本や日本国民に火の粉が降りかかってくる事態」と解せば、それは「集団的自衛権」の領域ではなく、「個別的自衛権」の領域とギリギリ判断することができるのではないか。加えて、支援の態様を「後方支援」に止めたことで「武力行使」と一線を引いた。この点は後の議論にも関係する。
こうした議論の過程や、日々、与野党の政治家と付き合う中で私が思ったことは、「こんな日本の政治家のレベルでは、自衛隊を海外に送ってオペレーションするのは危険すぎる」 ということだった。外交・安全保障に精通している政治家が皆無に等しかったのである。これでは〝子どもに鉄砲を持たせるようなものだ〟
自衛隊の最高指揮官である総理大臣も、指揮命令をする防衛大臣も、本来ならば外交、安全保障に精通していなければいけない。しかし、現状は、「シビリアン・コントロール」すなわち、政治が自衛隊をコントロールするといくら言っても、知識や経験のない政治家がそれをまっとうできるわけがない。
実際に軍事行動を経験していない自衛隊自身も、海外で他国軍と共同でオペレーションできる能力はまだまだ不十分だし、その戦略も机上でのそれにすぎない。「専守防衛」を旨としているが、自衛隊も世界からみると、ある意味「軍隊」とみられてもやむをえないことを考えると、その指揮命令をこの程度の政治家にゆだねることなど危険極まりないと思ったのが、いまの私の原点である。
したがって、自衛隊の海外派遣や派兵については、しっかりとした歯止めをかけなければならない。もちろん国際緊急援助や災害救助といった活動のための派遣、PKO(国連平和維持活動)などには、これまで通り、いやそれ以上に積極的に取り組むべきだ。(続く)
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「集団的自衛権」を考える・・・①「限定容認」か?「個別的自衛権の解釈適正化」か?(2014年04月14日号)
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