政治の責任は方針・方向を決めること・・・小泉元首相の「原発ゼロ発言」
2013年11月18日 tag:
小泉元首相の「原発ゼロ発言」が話題になっている。
小泉さんが言っていること自体は目新しいことではない。最終処分場がない中で核のゴミを出し続けることは無責任
という点は、従来から「トイレのないマンション」と言われてきたことであり、私も先の衆院選、参院選で特に強調して
きた点だ。
しかし、やはり役者が違う。同じことも小泉さんが言えば、皆が注目する。結構なことだ。これでなんとなく「喉元過ぎ
れば何とやら」、ほとぼりが冷めれば原発イケイケドンドンと思っていた関係者は苦虫をかみつぶしたような心境だろう。
原発ゼロで「ピンチをチャンスに変える」。自然エネルギーの活用や地産地消の分散型電源で地域おこしを図る、日本
全国を元気にする。小泉さんが言うとおり、なんと夢のある話ではないか!たしかに、この夢に権力を振るえる立場に
ある安倍首相は幸せ者なのかもしれない(振るわないだろうが)。
思えば、私が通産省に入省したのが1979年。あの第二次石油ショックの直後だ。その頃も、「脱石油」といえば、そんな
ことは絵空事、実現不可能だと反対されたものだ。しかし、その後、まさに日本は、経済界は、「ピンチをチャンスに
変える」、見事に省エネ、新エネを促進し、今やエネルギーの石油依存度は半分以下、省エネ大国となり、世界にその
技術を伝播させている。
そう、政治が「将来の原発ゼロ」の方針、方向さえ示せば、優秀な日本国民は、今回も見事にこの難題を克服する
ことだろう。そう私は信じている。
みんなの党は「2020年代の原発ゼロ」を公約している。あの福島原発事故で、私は原発の「三つの神話」が崩れたと
考えている。三つとは、原発の「安全神話」「安価神話」「安定供給神話」だ。原発は安くもなければ安全でもなかった。
また、100万kw級の大規模電源が電気の安定供給を担っているという神話も崩れた。それは、福島の事故で首都圏を
はじめ各地で大停電が起きたことからも明らかだ。
そこで、電力の再編自由化を図る、発送電を分離して、小規模な地域分散型の電源をあちこちに作っていくとともに、
これらを活用して、再生・新エネルギーの導入促進を図っていく、それまでの「つなぎ電源」として「高効率なLNG
コンバインドサイクル」を普及させていく。
米国エネルギー省の公式統計では、原発は既に一番高い電源となっている。原発が11セント/単位であるのに比し、
最新鋭のLNGコンバインドサイクルは6セント、CCSといって、CO2を分離貯留する機能をもったLNG火力でも10セント
だ。再生・新エネルギーは、ドイツやベルギーのように倍々ゲームでこれから普及促進していく必要はあるが、すぐに今の
電力需要を満たすというわけにはいかない。それまでの「つなぎ」として十分役割を果たすのが、このLNG火力なのだ。
ましてや最近の「シェールガス革命」でLNGの価格も急速に下がっている。
「競争原理」で電気料金も下がっていけば、もう、安くもない原発は市場で自然に淘汰されていく。今まで原発が
安いと言っていたのは、本来入れるべきコストを入れてこなかったためだ。莫大な事故の賠償金、除染費用や廃炉の
コスト、核のゴミ処分費用等々だ。原発に民間保険がないのは、それだけリスクの高い施設でとても保険理論が適用
できないからだ。これで一体、どこが「原発は安い電源」「経済や国民生活を考えれば原発再稼働は不可欠」なのだ
ろうか。
特に、「核のゴミ」の問題は、前述のように決定的だ。原発を動かせば動かすほど、核のゴミが出る。我々の試算
によれば、各原発の燃料貯蔵プール、青森六ヶ所村の再処理施設等の余力はあと数年で満杯になる。そう、動かし続け
れば核のゴミがあふれかえるのだ。そして、その最終処分場は決まっていない。原発が「トイレのないマンション」と
称される所以だ。
それでも原発を活用すべきという人には、「それでは、国民はトイレのないマンションに住めということですね」
「原発ゼロに反対する人は自分の街に核のゴミを受け入れるのですね。そうじゃない筋が通らない、無責任でしょう」
等々と問うてみればいい。
しかし、安倍自民党政権は、これからも原発はどんどん再稼働させるだろう。先週末の石破幹事長発言のように、
新設さえするという事態が容易に想定される。これも「電力村」「原発村」から多大なカネと票をもらっている自民党
の宿命なのだ。本当の「脱原発」は、こうした自民党や電力総連から支援を受けている民主党には絶対にできない。
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