結党の原点に戻る・・・拙著「愚直の信念」(PHP)
2013年8月19日 tag: 愚直の信念
みんなの党結党の直前、2009年春に書いた本に「愚直の信念」(PHP研究所)があります。残念ながらあまり売れ
ませんでした。
ただ、私、江田憲司の原点に戻るという意味では、「結党宣言」と同じく、いやそれ以上に政治家・江田憲司の原点を
書きつづった、はじめての本でした。
今、夏休みということもあり、あらためて読み返しています。そのさわり、「はじめに」をここで紹介します。ちょっと長い
ですが、我慢して読んでいただければ幸いです。
「はじめに・・・なぜ、江田憲司は「無所属」なのか?」
「江田さん、あなたは、なぜ無所属なんですか?」とよく聞かれます。確かに私は、最初の選挙こそ自民党から立候補
しましたが、その後、02年秋に自民党を離党して以来、もう6年以上、完全な「純粋無所属」を貫いてきました。
ちなみに、現在、衆議院に無所属議員は10人前後いますが、どの議員も与党寄り、野党寄りという形ではっきり色分けがされています。それは、本会議での首班指名や法案への賛否で自ずからわかるのです。私の賛否は常に「是々非々」でした。
正直言って、これまで、自民党、民主党のトップレベルから「一緒にやらないか」というお誘いを受けたことも事実です。
当選のことだけを考えれば、もっとうまい処世術もあったでしょう。しかし、私は、自分でも頑ななまでに、それを拒絶して
きました。結果、一度ならず二度目の落選も経験しました。
「江田さん、官邸で総理秘書官までやって、政治は数だということがわからないのですか?」「国会は政党政治でしょう」「あなたの主張している政策を実現するためには、政党に入るべきでしょう」とも言われます。
私も、官僚として、政治家として、30年もこの世界にいて、ご指摘の点がわからないわけではありません。いや、口幅ったい言い方をさせていただければ、誰よりも、そんなことはわかっているつもりです。
しかし、どうしても、私のこれまでの経験と、政治家としての信念が、それを許さないのです。今の、基本政策すら一致できない、考え方の違う議員が集う寄り合い所帯の政党では、仮に、江田憲司がそこに入って自らの主義主張、政策をぶっても、とてもそれが実現できるとは思えないからです。
確かに、自民党議員なら、朝から晩まで、やれ党の朝食会だ、部会だ、調査会だと出席していれば、何か仕事をして
いるような錯覚に陥るでしょう。自分が国政になにがしかの影響を与えているという喜びすら感じるのかもしれません。
しかし、それは、極々まれなケースを除いては、単なる幻想にすぎないということを、私は知ってしまったのです。
いや、それを一番感じているのは、実は、自民党所属議員なのかもしれません。朝から晩まで議論しても、一向に
歯切れの良い、骨太の、効果的な政策が決まらない。党内議論は、いつも考え方の違う議員同士の足の引っ張り合いで、そこで最後に官僚が出てきて「先生、それでは足して二で割って、こんな感じで如何でしょうか」と、毒にも薬にもならない
無難な線でその場をおさめる。結果、単に、我々は頑張っているんですよと、国民にエクスキュース(言い訳)するため
だけの政策が羅列される。こんな官僚政治が横行する最大の理由が、この政治家、政党政治の体たらくなのです。結局、何のことはない、この国は官僚が動かしているのです。こんなことを続けていたら、一番不幸なのは日本の国民だと思い
ます。
少し、傲慢な言い方を許していただければ、私には、見えすぎてしまうところがあるのかもしれません。今の政治や政党の正体、この日本という国がどういうメカニズムで動いているか等々。若干39歳で政治担当の総理秘書官に任用され、
よちよち歩きの未熟者ではありましたが、時の総理に手を引かれ、一度、山の頂にまで登り、そこからの景色を見て
しまったのです。それが私にとって、幸せなことだったのか、不幸なことだったのかは、今は知るよしもありません。
ただ、それは、まるでタイムマシンに乗って、本人の意思にかかわらず、先の世界を、未来をみせられてしまったかの
ような、何とも言えない複雑な心境でした。 私が、官僚を辞めた最大の理由は、総理の横で、先輩官僚の事務次官や
局長が、行革反対、組織防衛に汲々とする姿を見てしまったからであり、それが未来の江田憲司の姿に重なったから
です。同じように、自民党の幹部や政治家の、八方美人で信念のかけらもない姿や、政治の、政党の機能不全の有り様を、散々、目の当たりにしてしまったのです。
そういう思いが重なって、今の私の、政治家としての行動を形づくっています。単に、政治家を続けるためだけならば、
二大政党の時代なのですから、自民でも民主でも、政党に入って選挙戦を戦えば、どんなに楽だったことでしょう。私は
既に無所属で3回選挙を戦いましたが、そうでなくても二大政党制が幅をきかせる小選挙区で、それは、自民、民主の
候補者の狭間に埋没する危険と戦う選挙戦でした。おまけに、政党助成金もない、政見放送もできない、ポスターや政策
ビラ、選挙葉書も枚数が制限される等々、無所属は大変不利に扱われます。そして、めでたく当選しても、その国会活動がかなり制約される。
しかし、今の政党政治を正さなければ、今の「頭と胴体と手足が違う方向に動いて一歩も前に進めない政治」を正さな
ければ、この日本の危機を救う骨太の政策も打ち出せない、世界一の少子高齢社会の、その困難を乗り越えて、この
日本という国の未来を切り拓くことはできない、そう私は確信しています。これまでの、官僚の手のひらの上で踊って
いればよかった政治とは一刻も早く決別し、「官僚主導の政治」から政治主導、すなわち、「国民主導の政治」に変革して
いかなければならないのです。
そこでは、「脱官僚」後の、政治家の資質も厳しく問われるでしょう。「今の政治家のレベルではとてもこの国を任せられ
ない」といった国民の声も聞こえてきそうです。しかし、だからといって、この荒波に漕ぎ出そうとする、いや、既に漕ぎ出している日本丸の舵取りを、匿名で責任を負わない、我々が選んでもいない官僚に任せておくわけにはいかないのです。
だからこそ、次の選挙、いや、次の次の選挙、もしかしたら、その次の選挙を経て、今の「ごった煮」政党、考え方の違う
議員の寄合所帯化した政党を、政治理念や主義主張で整理整頓して、一本背骨の通った、違いのわかる、有権者の選択肢たりうる、真っ当な政党政治に造りかえていく必要があるのです。
そして、今後、急速に少子高齢化が進む中でも、医療・介護、年金、子育てといった国民生活をしっかり守る、そのための改革がしっかり前に進む、当たり前の政治を実現していかなければならないのです。多少、回り道かもしれませんが、それは、この日本という国に健全な民主主義が根付くための、避けて通れないコストだと私は思っています。
これが私の目指す「政界再編」ということなのです。私は、この政界再編をやりたくて政治家になりました。それが、私が
これまで純粋無所属を貫いてきた理由であり、この国の政治の正体、政党の正体を見てしまった者の責任だと考えるから
です。
この私の本意というものを、より皆さんにご理解いただくために、まずは、私が橋本政権終了とともに総理秘書官で官僚を辞し、その後、ハワイで放浪生活を送り、帰国後、政治家に立候補して、途中、落選、当選を繰り返しながら、今日の
無所属衆院議員・江田憲司になるまでの軌跡を追うことから、この本をはじめたいと思います。
二〇〇九年四月 春爛漫の日に
江田憲司
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