政治家を支配するうえでさらに強力なのが、「ムチ」――国税の査察権だ。大物政治家ほど"すねに傷をもっている〟人が多く、この「権力の源泉」には隠然たる影響力がある。
こうしたやり口に気づいたのは、一九九六年から九八年にかけて、私が橋本龍太郎政権で首相秘書官(政務担当)を
務め、橋本行政改革の最大の柱である大蔵省改革を手掛けたときのことだ。
そこでは大物の自民党議員が、大蔵省の「アメ」と「ムチ」の存在を前に、早々と白旗を揚げたり、途中でコロッと寝返ったりする姿を目の当たりにした。それでもなんとか、大蔵省から金融行政を分離・独立させることには成功した。
じつはこのとき、橋本首相が「国税庁も大蔵省から分離させる」と言い出した。そのときの大蔵省幹部の反発たるや、
金融庁分離のときの比ではなかった。大蔵省から来ている総理秘書官も「総理!そんなことをやっていいと思っているんですか!」と正面切って食ってかかり、やがて山中貞則氏や武藤嘉文氏など歴代の自民党税制調査会長全員に根回しを始めた。結果、孤立無援になった橋本首相は、分離案を引っ込めざるをえなくなってしまったのである。
時は流れ、民主党政権も、国税庁を財務省から切り離し、社会保険庁と統合させる「歳入庁」構想を打ち出した。だが
橋本政権時代と同様、改革は後退している。当初、民主党の提案では、歳入庁設置に向けて「本格的な作業を進める」と
書かれていたが、七月に出された三党(民自公)修正協議で決定された条文を見ると、「歳入庁その他の方策の有効性、
課題等を幅広い観点から検討し、実施する」となっている。
ここには「官庁文学」ならでは仕掛けも施されている。それは、「歳入庁その他方策」ではなく「歳入庁その他の方策」と
なっている点だ。前者であれば、「歳入庁」も「その他」も検討するという意味になるが、後者の「歳入庁その他の方策」と
なれば歳入庁はあくまでも一つの例示で、検討は義務付けられていないということになる。
財務省から国税庁を切り離す歳入庁構想は、もはや完全に消えたといっていい。財務省にとって「ムチ」である国税の
査察権は、「アメ」である予算編成権よりはるかに重要なのだ。だからこそ彼らは死守しようとする。逆に、彼らの手から
これを離さないかぎり、財務省支配は永遠に続くだろう。
(VOICE9月号に掲載された江田インタビュー記事)
※江田けんじの拙著「財務省のマインドコントロール」はこちら
数字の辻褄合わせ」増税は破綻を招く①・・・月刊誌「Voice」九月号(PHP研究所)より
数字の辻褄合わせ」増税は破綻を招く②・・・月刊誌「Voice」九月号(PHP研究所)より
数字の辻褄合わせ」増税は破綻を招く③・・・月刊誌「Voice」九月号(PHP研究所)より
Copyright(C) Kenji Eda All Rights Reserved.