もういい加減にしろ!・・・中央省庁の介入、集権指向
2011年12月19日 tag:
「この国のかたち」を変えるためには、「廃藩置県」ならぬ「廃県置州」をしなければならない。つまり、官僚が地方を支配する「中央集権体制」を打破し、「身近な行政は身近な役所で」行う、福祉や教育、子育てといった住民のニーズには、それを一番よく知っている近くの市区町村の役所ですべて応えられる体制にする必要があるのだ。
そのためには、「権限」「財源」「人間」の「3ゲン」を、霞が関(東京)から地方、すなわち、基礎自治体(市区町村)に移譲していくことが不可欠だ。その上で、基礎自治体でできない広域的な行政、例えば、道路や河川といった広域インフラの整備、健康保険といった保険数理上、広域的にやった方が良いものなどは、都道府県をブロック毎にまとめた「道州」で行っていく。これが、みんなの党が訴えている「地域主権型道州制」なのだ。
「地域主権型」とあえて冠しているのは、あくまでも、権限、財源の移譲先の中心は、基礎自治体たる市区町村であり、ゆめゆめ、自民党時代に検討されていた、「道州」を通じて中央省庁が引き続き地方を支配していく「道州制」とは違う、という趣旨を明確にするためだ。
橋下徹氏率いる「大阪維新の会」が目指している「大阪都」構想も、それが、260万人という、一人の首長では把握しきれない、大きすぎる大阪市という都市を、30万人~40万人の規模の特別区に解体し、そこに「3ゲン」を移譲し「身近な行政は身近な役所で」行うという趣旨と理解して我々は応援した。また、「大阪都」は、「広域自治体」としては中途半端な広さ・大きさだが、それが将来の「関西州」(我々のいう道州制)につながると考えて応援したのである。
しかし、新聞報道によると、またぞろ、中央省庁は性懲りもなく、自分たちの権限、財源保持のために奔走しているという。そして、完全に官僚言いなりの、霞が関の手のひらで踊っているだけの野田民主党政権が、それを我がことのように許しているのだ。
朝日新聞(12/18朝刊)によると、「原則廃止して地方に移すことが決まっている国の出先機関について、国土交通省が国の関与を温存する案を作った」という。「全国を複数のブロックに分けて長と議会を設ける。この体制に国の出先機関の権限や財源を移すが、国交相が整備計画決定や予算措置等に関与すると明記」しているというのだ。
これは、我々のいう「地域主権型道州制」や、民主党が政権交代前に約束していた「基礎自治体への権限・財源移譲」にもまったく逆行する。自民党時代と同じく、「道州」を通じて地方をコントロール下に置こうという中央省庁の思惑が露骨に出た事例と言えよう。
また、第三次補正予算でせっかく措置した「東日本大震災復興交付金」、すなわち、地方の使い勝手のよい自由な一括交付金だったはずの予算も、蓋をあけてみれば、見事なくらいに、各省庁の「ひも付き補助金」になってしまった。
この交付金は、本格復興のために1兆5,612億円が計上され、その目的は「被災地方公共団体が自らの復興プランの下に進める地域づくりを支援する」ためだった。それが、土地区画整理、道路整備、農業農村整備等「5省40事業」に限定され、従来どおり、極めて「使い勝手」が悪い、復興を阻害するものになっているのだ。
例えば、被災地が町づくりの中心になるべき「総合福祉センター」を整備しようと思っても、この「5省40事業」の中には、関係事業として、「介護基盤復興まちづくり整備事業(「定期巡回・随時対応サービス」や「訪問看護ステーション」の整備等) 、「保育所等の複合化・多機能化推進事業」、「医療施設耐震化事業」しかなく、医療や介護、障害者支援や子育て支援とった「総合センター」を作ろうとしてもできない、といった具合だ。
こんな交付金は、まったく自由に被災地に使ってもらえばいいだけの話だ。この程度のことは野田首相が「そうしろ」と一言いえば済む話だ。それができないのは、野田政権の政権運営自体を官僚、特に財務官僚にゆだねているからに他ならない。もっと言えば、こんな一括交付金は、将来は「税源移譲」、「交付金」という中央から地方に「渡してやる」お金ではなく、そもそも地方の財源として、その分を「地方税」にすれば良いだけの話なのだ。
本当につくづく、霞が関官僚、中央省庁というところは「性懲りない」と、元官僚としても思う。その底流には、「地方の役人や議員はバカでなまけものだから、我々中央官僚が全部に口を出さないととてもやっていけない」という強烈な、しかも「誤まったエリート意識」があるのである。
そこには、まず、自分たちもどうしようもなく「能力のない集団」だという自己認識もないし、仮に、地方の役人の能力が今は低いとしても、そこに権限、財源等を任せることで責任が出てくる、失敗しても、それを教訓に、よりよい首長や議員を選ぼう、役人を採用しようといった形で試行錯誤の上で「住民自治」が行われていく、それが真の民主主義なんだという意識もない。
この国のかたちを変える。前途多難だがやり抜かなければ、この国の将来はない。
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