すべてが増税せんがための作文・・・財務省主導の復興構想会議提言
2011年7月 4日 tag:
復興構想会議がやっと提言を出した。当初の予定を変更して、これが最終報告らしい。政局不安定を見越して、言うべきことは言っておこうという魂胆だ。
一読して、こんな被災地の日々の苦しみから超越した、高尚極まりない報告を出すために、一体、何カ月をかけたのかと憤りを禁じ得ない。明日からでも救いの手が現実に差し伸べられると思っていた被災民や関係自治体の失望は計り知れないだろう。
今、一刻も早く決断すべきことは、高台や浸水した土地等の利用規制や国による買い上げ等をどうするかだ。既に、不動産ブローカーが跋扈しているし、被災民は、仮設住宅建設の遅れから、浸水した家屋の二階に住み始めている。政府が、構想会議がぐずぐずしているうちに、既成事実化が進み、いざ、復旧・復興の絵図面を出した時には、とてもそれを実行できないといった事態も想定されているのだ。そうした喫緊の課題についての方向付けは見事に抜けている。
めぼしいのは、「特区」の創設と「漁業権への新規参入」程度だ。その「特区」も、地元被災地主導というよりも、相変わらずの中央省庁許認可型の特区。これでは、既存の特区(例えば沖縄)が所期の成果をあげていないように、あいかわらず、霞が関の権限、財源維持の言い訳程度のものに終わるだろう。
復興庁と中央省庁の役割分担も極めて不明確だ。復興庁創設は、半年ぐらいかけて制度設計をするようだが、みんなの党のように、国土交通省や農水省等の権限・財源をぶち抜く形になっていない以上、両者の権限争い、いや、霞が関の権益維持の「二重窓口化」することは、火をみるより明らかであろう。そして、被災民だけが迷惑を被る。同じ陳情を復興庁と中央省庁に二度手間でしなければならなくなる。
まさに、この復興構想会議なるものが、高名で、そうでなくても俗世間から遊離した人たちで固められたことからも、その事務局をしっかり霞が関が牛耳り、ひたすら、復興に名を借りた自らの権益維持に汲々とした、いや、今の死に体の民主党政権下では楽々と、その意図を達成したとみてよいだろう。
その典型的な証左が、中味の無い牧歌的な提言の中で、ひときわ際立つ「復興増税」のくだりである。「復興財源は次の世代に先送りしない」として、復興債は所得税や法人税等の基幹税で償還していく道筋を明らかにした。この会議の事務局を取り仕切る財務官僚の面目躍如といったところだ。
我々みんなの党は、そうでなくてもデフレから脱却できない日本経済が、震災で壊滅的な打撃を受け、そこに増税で追い打ちをかけたら、二度と日本は立ち上がれないとの危機意識から、国債整理基金をはじめとした特会の剰余金の活用、政府資産の売却、議員や公務員の人件費削減、民主党のバラマキ4K予算の見直し等を提言してきた。
そして、それでも足りなければ、復興債を発行し、必要なら日銀引受等も活用する。日銀引受は禁じ手のように言われるが、今のデフレ下ではマネーを市場に供給するという意味でもプラスだし、利息は日銀の国庫納付により返還されるから国債発行のコストも安くてすむ。要は、今回の大震災が百年に一度、千年に一度の大災害であるなら、その負担は広く薄く、「今の世代も将来の世代も負担すべき」なのである。
そもそも復興会議、そのバックにいる財務省が言っている、期間限定で、しかも増税で償還するという考えは、農地や漁港、道路の復旧・復興等が将来世代にも便益が及ぶ事業である以上、論理的に破たんしているし、世界常識にも反しているのだ。この点、湾岸戦争時に戦費として拠出した90億ドルに、臨時増税(法人税と石油税)で対処した場合とは基本的に異なる。
こうした当たり前の主張が、この日本では異端とされる。いかに、財務省という役所がこの国を支配し、要所要所に手を回すことによって、政治家も学者も識者もメディアも籠絡できる存在であるか、私は政権(官邸)にいて、まざまざと実体験してきたし、あらためて昨今の情報操作等の動きをみて、あらためて、その手ごわさを実感している。
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