みんなの党、初の統一地方選で躍進・・・手かせ足かせの中で
2011年4月11日 tag:
お蔭様で、みんなの党は、統一地方選の前半戦で、道府県議選で41名(選挙前9名)、政令市議選では40名(選挙前3名)の当選を果たすことができた。
特に、我が神奈川県では、県議選で22名中15名が当選、自民、民主に次ぐ第三党に躍り出た。また、三つある政令市議選ではほぼパーフェクト。横浜市議選では推薦1名を含む14名(公示日直前に立候補した者が1名落選)、川崎市議選では全員6名当選、相模原市議選でも4名(1名落選)が当選した。手前味噌だが「大躍進」と評価しても良いだろう。
ただ、今回の選挙ほど、やりにくい選挙はなかった。当初は、とても選挙という雰囲気ではなかったからだ。
だからこそ、我々みんなの党は、選挙の全国延期を訴えたのだ。大震災は、単に被災地だけの問題ではなく、全国民の問題ととらえるべき、被災していない自治体も、被災民の受け入れや職員の応援派遣等で忙しい、そして、何よりも、こんな国民全体が喪に服しているような雰囲気で、真っ当な選挙活動、投票行動を含む参政権の正常な行使ができるのか、と考えたからだ。
しかし、投票率が低ければ、自民党や民主党のような組織政党、固定票を持つ候補者が有利だろうという判断、さらには、選挙に散々お金をかけてきた金権候補者の「延期されたらお金が続かない」という悲鳴にも似た声におされて、そうした「国民の常識」はかき消された。
ただ、みんなの党も、選挙をやるからには、我が候補者が何を考え、何をやろうとしているのか、有権者の皆さんに理解してもらわなければならない。特に、みんなの党は、大きな組織をバックにしているわけでもなく、一人一人の有権者への訴え、その一票一票の積み重ねで当選するしかないのだ。
だから、街頭での活動が主にならざるをえない。しかし、通常なら許される、街宣カーでの訴えや駅前等の街頭活動が、逆にマイナスになるのでは、との危惧が大いにあった。現に、震災直後に街頭にあえて立った他党の候補者は「バカじゃないか!」「こんな時に何やってんだ!」と罵倒されたという。
というわけで、3月11日に震災が起こって以降、告示日の4月1日まで、投票日の一ヵ月前という一番重要な時期に、政治活動は自粛ということになったのである。我が党の候補者は、党本部から指示するまでもなく、自主的判断で続々と「決起大会」や「街宣活動」を自粛した。
選挙活動が始まっても、私の地元のみんなの党県議、市議候補は「NO選挙カー」を掲げた。ガソリン不足の折に大量にガソリンを喰う選挙カーでもないだろう、自転車と公共交通機関の利用で選挙をやりきった。
ただ、公示日以降は、日を追うごとに街宣への反発はなくなった。逆に、日を追うごとに、街頭演説で立ち止まってくれる聴衆の数は増えていった。大震災が起こり、また、菅内閣の危機管理の不手際が明らかになるにつれ、選挙では良い候補者を真剣に選ばなければならないという考えが有権者の中に芽生え、広がっているように感じた。
私自身の演説でも、震災等災害にあった時、一番頼りになるのは身近な町長、市長、地方政治家だということを訴えた。その上で、選挙の時、候補者は「良いことづくめ」を言う、ただ、実際、それを実行するかどうかは、その「覚悟」のほどだ、その正体を見破るのは「わが身を切る改革」を断行できるかどうか、すなわち、県議、市議の給与カット、定数削減等だろう、そんな約束をしているのはみんなの党だけだ、と訴えた。
そして、統一地方選後にありうべき、民主、自民の大連立あるいは連携、そこで行われるだろう「震災対策財源をまかなうための大増税」に断固反対する、今、そんなことをやれば、そうでなくてもガタガタの日本経済にトドメをさすことになる、増税しなくても、財源は明日政治が決断すれば20兆円のお金が出てくる、20兆円とは、10兆円(国債整理基金のたんす預金)+5兆円(労働保険特会の剰余金)+5兆円(民主党のバラマキ予算の削減、予備費等)だ、そう訴えた。
私自身は、幹事長として、制約された時間の中で、北海道、福岡、千葉、埼玉等を回った。地元神奈川はもちろんである。辻立ち中心の活動をこなした。
この結果、結党以来はじめての統一地方選で、冒頭の成果を残せた。私が結党以来、「ホップ、ステップ、ジャンプ」の党戦略と言ってきた、今回は「ステップ」に当たる。おそらく、最近の日本政治史上、新党がこれほどの地方議席を獲得したことはないだろう。後半戦(東京区議選、一般市町村議)も頑張りたい。
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