初夢(上)・・・菅首相、追い込まれ・話合い解散へ
2011年1月11日 tag:
今年の正月明け、家族サービスが過ぎたのか、家でうつらうつらしていると、まさに正夢のような初夢を見た。内容は概ね次のようなものだった。
5月の連休明け、菅首相はついに退陣に追い込まれた。4月に行われた統一地方選で民主党は、事前の予想どおり惨敗。党内から退陣要求が噴出し、また、年初来、水面下で進めてきた自民、公明等との連立工作もことごとく失敗に終わり、予算執行上最低限必要な予算関連法案成立の見込みもなくなったからだ。
いわゆる「大連立」を画策する動きは、昨年末急浮上し、その後、表面上消え失せたかにみえたが、どっこい「挙国一致救国政権の樹立」という大義名分の下、水面下で脈々と続いていた。すなわち、二年間の時限で大連立し、消費税増税を含む税制の抜本改革、社会保障制度改革、TPP参加等国政の最重要課題を処理した上で、その後、再び袂を分かって総選挙にのぞむ、、、、、、。
しかし、内閣支持率の10%台への低迷、統一選の惨敗といった事態を受けて、「こんな泥舟にはとても乗れない」という理由で、自民、公明からも完全にそっぽを向かれたのだ。当然の帰結であろう。
進退極まった菅首相は遂に退陣を決意、後継には、この政権を実質的に取り仕切っている財務官僚の受けがすこぶる良い野田佳彦氏を指名した。そして、新首相になった野田氏は、赤字国債の特例法案、税制改革法案等予算を執行する上で必要最小限の法案を、残りの国会会期内で通すことを条件に、野党からの解散要求に応じたのだ。
いつもの光景だが、首相の首のすげ替えで内閣支持率も若干上昇していた。いわゆる「ご祝儀相場」というやつだ。民主党政権にとっても、この機会を逃せば、また解散の時機を失する。政権のたらい回しで選挙をしなければ、自民党政権時代に、それを厳しく批判してきた手前、さすがに国民に対しても申し開きができない。そうした判断も働いたのである。
思えば、菅首相にとっては苦難の連続の政権運営だった。年明け早々、通常国会の審議円滑化のために、強制起訴を契機に小沢一郎氏を党から除籍し、問責決議を受けた仙谷、馬淵両大臣も交代させた。これにより、冒頭の審議入りは順調にいったかにみえたが、全国紙が「未来かすむ改革なき予算」と酷評したように、議員や役人が自らの身を切ることもなく、ひたすら「選挙目当てのバラマキ」に終始する予算案への野党からの批判はすさまじく、度々審議は中断、空転した。
しかし、3月上旬には、何とか圧倒的多数を擁する衆院での強行採決で予算案は衆院を通過、3月下旬には、野党多数の参院で予算案が否決されたにもかかわらず、衆院の優越性から予算案は成立。そのまま、4月1日からの統一地方選(前半戦)になだれこみ、24日の地方選(後半戦)投票日まで、国会の方は休戦になっていたのだ。
結果は案の定、民主党の惨敗。松戸市議選、茨城県議選、西東京市議選と、地方選連戦連敗の流れをとめることはできなかった。これを受けて、投票日あけの4月25日から一気に政局は流動化し、五月連休中には、様々な動きが表、裏、渾然一体となってうごめいたが、結局は万策尽き、冒頭の結末になったのである(次週に続く)。
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