もういい加減にしてくれ!というのが率直なところだろう。先週、またまた仰々しく行われた「仕分け」のことだ。マスコミ報道には、勇ましく「廃止」「バッサリ」「削減」といった文字が躍っている。
しかし、ちょっと待ってくれと言いたい。この仕分けに何の権限があるのか? 結果は年末の予算編成待ちではないのか? これまで二回行われた仕分けでも、その通り実行されていないではないか。そんな「政治ショー」「パフォーマンス」を、どうして連日、テレビや新聞が大げさに報じるのかが、私にはまったく理解できない。
この仕分けが、「その結果は最大限尊重する」といった閣議決定を前提としているのなら、まだわかる。過去、第二臨調や地方分権推進会議等の報告がそうだった。しかし、こうした「尊重義務」のある報告ですら実際は守られなかった例もある中で、こんな、何ら法的位置付けもない行政刷新会議が行う、その結論について実施「権限」も「尊重義務」もない、いわば「たわごと」のようなものが、最終的に実現されると考える方が無理なのだ。
さすがに一部報道では、この懸念を前提に、慎重に報じる向きもあるが、当然であろう。報じるなら見出しは「廃止?」「バッサリ?」「削減?」と「?」マーク付きですべきだろう。国民も既に気づいている。昨年秋の初回のような熱狂的な支持もなく、冷めた目で見ているのではないか。「柳の下にどじょうは三匹もいない」のだ。
具体的に問題点を指摘しよう。
まず仕分けの目的が不明確だ。蓮舫氏は「財源捻出が目的ではない」と言う。それでは何が目的なのか。菅首相は「特会の透明性確保」とも言う。それを否定するつもりはない。しかし、特会については、数年前からバランスシートも一応作成され、その透明度は格段に上がっている。それを前提に「伏魔殿」と言われている特会に切り込み、民主党が公約した財源捻出を図っていかなければ、ここまで仰々しくやる意味がないだろう。「国民向けのパフォーマンス」と言われるゆえんだ。
おまけに特会の「隠れ借金」という造語もでてきた。これが将来の増税への地ならしであることは明らかであろう。「特会を透明化してみたら、埋蔵金どころか借金がありました。だから消費税増税が必要なんですよ」と囁く財務官僚の声が聞こえるようだ。民主党にはさらに、増税のために、この際、国民の目の前で徹底的に官僚バッシングをしておく必要があるとの思惑もあるようだ(次週に続く)。
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