国家の基本が揺らいでいる・・・外交と検察が死んだ日
2010年9月27日 tag: 検察
国家とは何か、政治とは何か、そういったイロハというか基礎知識が、この民主党政権にはないのだろうか。検察はなぜ、郵便不正の証拠改ざん事件の渦中、自らの自殺行為を意味する「政治的配慮」を口にしたのだろうか。私には今、この日本という国の基本が、その根底から揺らいでいるように思えてしかたない。
国家は、領土と国民、主権で成り立つ。その領土、主権が侵され、かつ、明らかな公務執行妨害等の犯罪があったにもかかわらず、「政治的配慮」を理由に、「処分保留」で船長を釈放する。「政治的配慮」云々は絶対検察が口にしてはいけない言葉だ。それは即ち「検察の死」を意味する。
さらに、否認事件で拘留延長する場合は、満期(29日)まで被疑者を拘束し、捜査を尽くすのが通常だ。それが最高検の意向で、唐突に幕引きさせられた。そこに何があったのか。
仮に、官邸、すなわち、菅首相や仙谷官房長官の「政治的配慮」が、最高検察幹部に伝えられ、今回の結果となったとすれば、それは事実上の指揮権発動だ。そうであれば、その政治的道義的責任は、国会で厳しく問いただされるべきであろう。
さらに、そうは思いたくないが、仮に、郵便不正事件を巡る証拠改ざん問題で、検察上層部の責任追及を求める声があがっている中、官邸中枢の意向を受け入れることで、その責めを逃れようという魂胆、取引があったとすれば言語道断だ。仮にここまでくれば、司法の独立、法治国家の根幹をゆるがす大問題に発展することにもなる。
また、今回の決定が、国連総会での、日米首脳会談、外相会談の直後にされたことにも引っかかるものがある。クリントン国務長官等の「尖閣は日米安保条約の対象」という発言で、表向き日本に花を持たせながら、裏では、米国は日本に「船長釈放による早期解決」を強く迫っていたのではないか。釈放直後の、国務省幹部による迅速な「正しい決定」発言が、その解釈に拍車をかける。
いずれにせよ、外交には相手がある。だから、いくらどちらかに理があろうとも、通常、どちらかが100点で一方が0点という結末には絶対にならない。しかし、今回のケースは、領土、主権に関わる問題で、100%日本に理のあるケースで、100対0で日本が中国に負けてしまった。そういう意味ではありえないケースであり、これを「屈辱的な外交敗北」と言わずして何と言えばいいのか。最低限の事後収拾策も講じている気配もない。その意味で「外交も死んだ」。
そして、何よりも国益を損じたのは、「日本は威嚇、恫喝すれば最後は譲歩する、腰砕けになる」という相場観を国際的につくったことだろう。このことは今後の経済、資源、安保等あらゆる分野での交渉で日本を不利な立場に置くこととなる。
同じく中国との領土紛争を抱える東南アジア諸国は、今回の日中間の処理の仕方を 固唾をのんで見守っていたことだろう。そうした国々にとって、そうでなくとも中国の影響力が高まっているところ、やはり日本は頼りにならない、アジアの盟主は中国だというという思いを強くしたかもしれない。
私は、今回の事態を受けて、「日本は法治国家だ。そして三権分立が確立している国だ。いくら外交的圧力をかけられようが、検察当局、司法当局は粛々と我が国の法律を適用すれば良い。それだけのことだろう」と書いた。しかし、結果は、児戯に等しい中国の対抗措置にみごとに腰が砕け、民主党政権は児戯以下の対応をしたということになった。
もうこの政権に、民主党という政党に、この国を任せておくわけにはいかない。右翼だ左翼だ、保守だリベラルだといった次元を超えた、初歩的な所作さえわからない政治が今、我々の眼前にある。
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