総理が「政治理念」を高らかに謳いあげる。それも良いだろう。「いのちを守る」。これに反対する者もいない。しかし、政治の責任は、そんな格調高い美辞麗句を並べたてることよりも、それを裏付ける「予算」や具体的「政策」、そして、この国のこれからの道筋を指し示すことだろう。
その意味で、鳩山首相の施政方針演説は、目先の対策に追われ、マニフェストにはあった「後期高齢者医療制度の廃止」や「年金の一元化」にも一切ふれず、国家財政は規模も借金も史上最大規模なのに財政規律は先送り。これでは益々国民の将来不安や生活不安をかきたてる。結果、いくら子ども手当や高校の無償化等で家計を潤しても、消費ではなく貯蓄にまわり、景気にも効かない。
また、この政権に常につきまとう、「言っていることとやっていることが違う」象徴的な演説でもあった。
「新しい公共」。この理念には賛同する。おそらく、公共的な仕事をNPOや市民も協働して担おうという発想だと思われるが、それには、「官僚統制」の象徴である独立行政法人や天下り公益法人の廃止が前提となる。そうじゃないと、NPOや市民団体までが「官僚統制」のネットワークの中に取り込まれる。
しかし、その独立行政法人や公益法人については、演説では「本当に必要なのか」という散文的な表現に止まり、マニフェストにあった「原則廃止」という勇ましい文言は消えた。それもそのはず、私が所属する厚生労働委員会ではあらたに独立行政法人をつくる法案さえが審議されようとしているのだ。
これに関連して「脱官僚」あるいは「脱官僚依存」という民主党の金看板も、一言も演説には出てこない。それはそうだろう、斎藤次郎氏や坂篤郎氏を日本郵政社長、副社長に白昼堂々と天下らせ、その後任には粛々と元大蔵官僚をすえる。演説でははじめて「裏下り」という表現を使い、「監視の目を光らせて疑念を解消」としているが、現にこうした「裏下り」が民主党政権下で行われているのだ。そして司令塔たる官邸には財務官僚や過去官僚があふれかえる。
自らを含む政治資金の問題には、27ページ中たった6行しか割かない。小沢一郎氏の問題にいたっては何もふれずじまい。そこまで小沢氏が怖いのかとも思ってしまう。ただ、それ以上に問題なのは、マニフェストにもあった「企業・団体献金の3年以内の禁止」が、「政治資金の問題については、企業団体献金の取扱いを含め、開かれた議論を行ってまいります」に。腰砕けもはなはだしい。
余談だが、ガンジーの「七つの社会的大罪」の「労働なき富」を引用し、それを「どのように制御していくべきなのか」と首相が言った時には思わず苦笑せざるをえなかった。大金持ちの首相にガンジーの言葉を引用する資格はないとまでは言わないが、あまりにも「KY」、今、自分が問われている「政治とカネ」の問題に無頓着と批判されてもやむをえないだろう。
「地域主権」を政権の「一丁目一番地」の政策と位置付け、国と地方との関係を「上下関係ではなく対等なものに」という。ならば問う。昨年末、党幹事長室への「陳情一元化」の美名のもとに、知事や市町村長に、政府ではなく党の県連や幹事長室に行くよう強要したのは一体誰だったか。憲法で「全体の奉仕者」と規定される公務員、その行政府たる各省庁や地方公共団体は、党派にかかわらず、全国民、全県民市民を相手に仕事をする。その行政主体を、与党とはいえ一政党の機関に組み伏せるとはどういう魂胆か。
そこの本音を国民はとうに見透かしている。党への一元化で自民党の権力基盤だった業界団体や首長を民主党へ引っぺがす。「国民の生活が第一」より「民主党の選挙が第一」の小沢流であることは明々白々であろう。先週には、本来政府の仕事である道路予算の配分、個所づけの結果を党幹事長室から内示し、各県連から地方公共団体には通知するという手法までとった。まさに「土建利権政治」の再来である。
民主党政権における成長戦略の欠如については先に書いた。ここでは、その原動力となるべき「科学技術予算」が、何と前年度3.3%減(▲456億円)とされたことを指摘しよう。それがうしろめたいのか、鳩山首相の演説でも菅大臣の「財政演説」でも、この数字は文教予算、すなわち高校の無償化予算の増と合算(「文教科学費」)することで、意図的に隠された(「文教科学費では5.2%増」)。
財政規律については「本年前半には、中期財政フレーム、財政運営戦略を策定」と言うばかりだ。しかし、「子ども手当」には所得制限をつけず、「高校の授業料無償化」は、本当に困っている生徒への返済不要の奨学金給付で足り、「農業の戸別所得補償」はのべつ幕なし、やる気のない農家にまで税金をばらまく。これでは国家財政はひたすら破たんへの道をたどっていくのは明らかだろう。
最後の逸話に、阪神淡路大震災時で息子さんを亡くされた父親の話が出てくる。目の前で子供ががれきの下敷きになりながら救い出してやれなかった親としての苦渋。親なら誰しも子供のためにはわが身を犠牲にしようとするだろう。この話を出すなら、なぜ、「分配重視」「家計重視」の名の下に予算をばらまき、今が良ければ良いと言わんばかりに、子供や孫の時代に重税を強いる「親が楽して子どもを苦しめる」政策を強行するのか。そのどこが「いのちを守る政治」なのか。「国民の生活が第一」ではなく「民主党の選挙が第一」なのではないか。鳩山首相には真剣に自問自答してほしい。
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