鳩山民主党政権が発足して3ヶ月、そろそろ国民の目にも、この政権の正体が見え始めたのではないだろうか。
いや、例の華々しい「事業仕分けショー」に目をくらまされて、いや「やっぱり政権交代っておもしろい」という国民も多いのだろう。この前、ある雑誌の編集長と、民主党政権の特集記事のタイトル如何という話をしていたら、「いや江田さん、まだまだ国民は『頑張れ!民主党』ですよ」と言っていた。
私も、政権交代を訴え、首班指名には「鳩山由紀夫」と書いたのだから、まだ『頑張れ!民主党』という気が、頭のどこかにある。しかし、一方で、小泉政権全盛時に、小泉改革は、三位一体改革(地方分権)であれ、医療制度改革(三方一両損)であれ、「財務省主導の予算ぶった切り改革であって、本当の改革ではない」と早々に見切りをつけた私からすると、鳩山政権についても見切りたい思いが日々募っているのが正直なところだ。
それは、政治家がワイワイガヤガヤやることを「政治主導」と勘違いしているのか、鳩山官邸が、まったく司令塔としての役割、機能を果たしていないからだ。政治家が思いつきで勝手気ままなことを言うのは、せいぜい「政治家主導」であって「政治主導」ではない。
真の「政治主導」とは、官邸・首相主導のことである。そのために橋本政権以降、官邸の体制を整備してきた。すなわち、議院内閣制では選挙で選ばれた政治家が首相を選び、その我々の代表である首相が司令塔となって政治、行政を主導するべきなのだ。そこが鳩山政権では根本的に欠けているように思えてしかたない。
確かに、大臣をはじめ政務三役レベルでは、それが結果的にどれだけ落ちるかは別にして、いろいろ魅力的な「手形」(政策)を振り出してきた。「事業仕分け」も、主計局の主査レベルの予算査定作業を、国民に見える形にした、透明化したということは、非常にいいことだと思う。しかし、これらは、あくまでもミクロの作業であって、やはり、国家戦略であるとか、経済財政運営のマクロフレームであるとか、全体の構図、基本方針があった上でのミクロという図式がないと、その評価さえもできないのだ。
いや、鳩山政権も本来、首相を中心に官邸で国家戦略を決め、それに基づいて政務三役がそれぞれの役割分担に応じて、「制度改革」や「予算の組み替え」「無駄づかいの解消」等を進めるはずだった。ところが国家経営の基本方針を定めるために設けた国家戦略室は、これまであまり動いていない。私は財務省との関係が大きいとみている。
民主党と財務省は今、やむにやまれぬ相思相愛関係にある。民主党は年末までの限られた時間内に予算案を編成するため、財務省の力を必要としている。かたや財務省は政権に恩を売り、政権交代のなかで省益を守ろうとする。
財務官僚は予算をぶった切るのが得意だから、「事業仕分け」のような仕事で財務省を活用するのは問題ない。ただ反面、国家戦略など大きなアイデアを出すのは不得手だ。だからこそ国家戦略室が必要なのだが、財務省にすればそんなものができれば自己の存在が脅かされるので本音は反対だ。国家戦略室がもたついている背景には、そうした隠然たる力が働いている。
来年度の予算編成しかり、普天間の着地点しかり、景気や雇用対策、金融政策しかり。この政権には「政治家はいるが政治がない」。もっと言えば、頭の良い、政策もある政治家はいるが、それぞれがテンでバラバラで、かつ、マネージメント(組織管理・運営)能力に欠けている。大きな組織のマネージをやった経験もない政治家が、いきなり大臣になったり政務三役になったりして、霞ヶ関という超大企業を管理、運営するという難題にさらされている。
名前を出して悪いが、長妻厚生労働大臣もそうだ。彼の志とやる気を私は疑うつもりはないが、組織をマネージして動かしていくことは、また別の問題だ。彼はそこの限界にぶち当たっているように見える。
首相にしても、普通は、総理大臣にでもなろうかという人は、それまで色々な仕事をしてきていれば、学者でも財界人でも役人でも、色々な人脈がついてくるものだ。そういう人を、総理の下に置いて、例えば国家戦略局とか、内閣人事局とか、内閣予算局等に置いて、得てして経験不足の人が多い政治家だけではない陣容を作っていく。
そうした官邸主導、首相主導にせず、今は個々の政治家の力量だけでその場をしのいでいるから限界が見えてくる。大企業たる霞ヶ関が回っていかないのだ。真の政治主導に舵を切らなければ、鳩山首相のいう「平成維新」の実現はかなわないだろう。
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