普天間基地の返還。それは、当時の橋本首相がまさに心血を注いで成し遂げたものだ。元々、幼少期かわいがってくれた従兄弟を沖縄戦で亡くしたという原点もあり、何度も沖縄入りし、都合17回、数十時間にわたり、当時の大田沖縄知事と会談して、まとめあげたものだ。
それが、鳩山民主党政権の、口先だけの、机上だけの、パフォーマンス政治で台無しにされようとしている。最も致命的なことは、この政権で誰一人、当時のように、血ヘドを吐き、地べたをはいずり回るような調整もせず、沖縄の声にも真摯に向き合わず、「やれ県外だ、国外だ」「いや嘉手納への移転だ」と「ほざいている」だけのところだ。
県外や国外への移設。それに越したことはないだろう。であるならば、そんなことは、ある程度、県外や国外に具体的な移設先を想定し、実現可能性を探った上で言うべきだろう。しかし、この政権では一切、そうしたことをした形跡がない。いたずらに、沖縄県民の期待だけを煽って、一体、どうおさめようというのか。私には、もう「パンドラの箱」を開けてしまったようにしか思えない。
かく言う私も、政権交代をしたのだから、自民党政権時代の合意を再検証することは認める。しかし、これは、まずはアドバルーンをあげ、その反応を見ながら落としどころを探っていく、といった類の話ではない。過去、十数年にわたって、ガラス細工のように積み上げられてきた経緯、しかも、米国や沖縄の基地所在市町村等関係者も多数にのぼる。
検証するなら、この政権発足以来みられるような、閣内百家争鳴、バラバラの「発言」「検証」ではなく、関係大臣が用意周到に、かつ内々に行うべきだろう。いくら透明性のある行政が必要といっても、その過程を表に無邪気に出してはいけない案件もある。今実施している無駄遣い解消のための「事務事業の仕分け作業」のようにはいかないのだ。
ただ、こう言っても、実際、この問題に取り組んだことのない人には理解してもらえないかもしれない。あの少女暴行事件に端を発する沖縄県民の怒りが頂点に達した95年~96年にかけての世論調査でも、この問題についての全国民の関心度は一桁台だったのだ。
しかし、そうした状況下でも、橋本首相は政権発足時から動いた。96年の総選挙でも沖縄問題を愚直に訴えた。良い機会だから、この、まさに官僚の反対を押し切って、政治主導、いや、首相主導(首脳外交)で実現した普天間基地の返還、それに携わった者として、当時の経緯、深層等を振り返ってみることにしたい。もう十年以上も前の話だから、時効ということで許してもらいたい記述も含まれる(次週に続く)。
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