脳死状態は、臨床現場で、患者の状態と今後の回復の可能性について説明のためのあいまいな表現として使われている。脳死に近いと思われる状態から、事実上臨床的脳死の条件を満たした状態まで、定義がなく、使う医師次第である。この脳死状態を脳死として議論を行うことにも混乱の原因がある。
この中には、当然ながら、脳死でない状態のものも含まれ、医師に脳死と言われたが意識を取り戻したなどというエピソードが出てくる原因と思われる。このようなエピソードを解釈する場合に、その場合の脳死はどのレベルで判断された脳死なのかを確認する必要がある。
以上、脳死という言葉の中に、一、明確な診断基準がなく、現状を主観的に説明する言葉として脳死状態を意味する場合と、二、脳死であるとするに十分な神経学的所見を有する臨床的脳死と、三、厳格な作業手順を経て判定される法的脳死が混在していることを述べ、どのレベルの脳死を意味するのかをその都度確認しないと議論はかみ合わないことを示した。
A案のように法的脳死をすべて人の死とする場合であっても、家族の同意がなければ判定作業そのものがなされないので法的に脳死の診断が下されることはないことは強調されるべきである。逆に、尊厳死を求める人たちにとって、脳死判定はその意思の具現化の手段でもある。したがって、脳死は人の死であるとすることによって、脳死を人の死と認める人たちにとっても、認めない人たちにとっても、リビングウイルを尊重できるシステムをつくることができると考える。」
(注)上記中「臓器移植の対象とならない十五歳未満の患者に対しては、法的脳死判定が行われたことはないはず」との記述には一部異論が呈されている。
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