先週は、麻生首相の「厚労省分割」指示で一騒動があった。しかし、舛添大臣や自民党内の反対であえなくダウン。久々に麻生首相の「朝令暮改癖」が頭をもたげてきたようだ。
たしかに、厚生労働省は忙しい。年金から新型インフルエンザ、そして雇用・失業対策。一人の大臣ではとても面倒みきれないという事情もわかる。しかし、今回の騒動で、マスコミも含め、指摘されなかったのは、なぜ、中央省庁の再編で「厚生省」と「労働省」を統合して「厚生労働省」としたのか、という視点だ。
中央省庁の再編は、橋本内閣の総理秘書官だった私の担当だったから、その生き証人の立場から述べよう。一言でいえば、人生の大半を過ごす「家庭」と「職場」のセーフチィーネットを一元的にみることで、国民のトータルな人生設計を助けようということだ。そういう意味では、国民の立場にたった「国民生活省」のような役所をつくるのが狙いだった。
もっとわかりやすく言えば、旧厚生省のもっていた健康保険(医療)や年金、子育て支援等の制度、旧労働省がもっていた雇用保険等の制度、これらを有機的に連携させて「縦割り行政の弊害」をなくし、「穴」「隙間」のないトータルなセーフティーネットを所管する官庁をつくろうということだったのである。
たとえば、今時の課題でいえば、長期失業者で雇用保険のない人に医療費の負担を削減しよう、生活保護の給付までいかないが雇用保険もなく困っている人に、その「穴」を埋める新たなセーフティーネットをつくろう、「仕事と子育ての両立」をいかに図っていくかを考えよう等々、社会保障と雇用の政策連携を図り、「家庭」と「仕事場」での国民の「生活」をトータルにみていこうということだ。
こうした統合、設立の趣旨が、再編から10年近くたって、いったい達成されたのか、されなかったのか、されなかったのなら何が原因なのか、そういったことをまったく検証しないままに、単に、忙しくて大臣の首が回らないというだけで「分割」を指示する。そこには、様々な不祥事を起こしてきた厚労省を懲らしめ、耳障りの良い「国民生活省」とか「社会保障省」という役所設立で、迫り来る総選挙のタマにしようという意図も見え隠れする。
大臣が忙しいなら、政治主導の名のもとに導入した副大臣や政務官は一体何をしているのか。厚労省の場合はそれぞれ二人、あわせて四人もいる。こうした政治家が相変わらず「盲腸」と揶揄されたように、ほとんど役所内で機能していないのではないか。
統合したにもかかわらず、あいかわらず省内は旧厚生、旧労働の縦割りで、本来の省内融合、政策の有機的な連携という趣旨が達成されていないのなら、この10年、大臣(政治家)は一体どんなリーダーシップを発揮してきたのか、してこなかったのか、こういったことが、少なくとも検証されなければならない。
そうした上で、分割が必要というなら、同じく、「巨大官庁」の総務省や国土交通省等に役所についても同様な検証を踏まえた上で、省庁再々編にまで踏み込むべきであろう。役所の再編には、その名称や組織変更に伴い、封筒や書類の変更をはじめ、関連法案の改正や執務体制の見直し、引っ越し等々大変な税金があらたにかかる。それだけの価値のあるものなのか、やるなら、思いつきで五月雨式にやるのでなく、やったあと、少なくとも何十年か堪えられるものでなければ、また将来組織いじりをされる。役所もたまったものではないだろう。
とにかく、麻生政権になって、やれ「観光庁」だ「消費者庁」だ、そしてこんどは「スポーツ庁」だと、安易に役所を新設しすぎる。行革に反するというだけではなく、役所をつくれば、観光が振興される、スポーツが振興されると、まるで何十年も前の旧い発想で政治をやっているとしか思えない。消費者庁だって、国民にとって苦情窓口の一元化がされるということで私も賛成したが、今後の組織づくりや権限関係のツメを間違うと、逆に屋上屋を重ねる、すなわち、消費者庁と事業実施官庁との二重行政と意志疎通のなさで、案件処理により以上の時間がかかるということも容易に想定されるのだ。
役所というのは、古今東西「パーキンソンの法則」といって、放っておけば自然に自己増殖していく。麻生政権は、それに手を貸しているとしか言いようがない。
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