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江田けんじ 衆議院議員 神奈川8区選出(横浜市青葉区・緑区・都筑区)

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内閣法制局の劣化・・・霞が関劣化の象徴

2009年4月27日  tag: , ,

内閣法制局と言っても、一般の方には馴染みが薄いだろう。官僚にとっては鬼門中の鬼門で、内閣提出の法案を提出しようとすれば、必ず、通らなければならない関門だ。我々は「法匪」と呼んでいた。

 とにかく、「まあまあ」が効かない役所で、なぜ、法律を作らなければならないか、から始まって、章立てや条文、「てにをは」に至るまで、純粋法律的に、完璧主義で「無定量無制限」で審査される。私も通産省官房総務課というところで、省全体の法令総括をやっていた頃は、毎日、帰宅が午前5時だった。残業月200時間、残業手当2万円、時給100円の世界だ。

 一般には、憲法9条解釈をめぐって、改憲派から、その「法匪」ぶりが批判される。例の、日本は「集団的自衛権を持ってはいるが行使できない」という有名な解釈をめぐってだ。さらに言えば、「武力行使一体不可分論」、すなわち、海外への自衛隊派遣で、自衛隊は後方支援はできるが、前線の武力行使と一体化する場合は憲法違反である、等々。

 しかし、いずれにせよ、内閣法制局たる存在意義は、良くも悪くも、その「純粋法律論」的な頑固さ、頭の固さだった。政治家が、いや、時の総理が、いくら内閣の方針だと言っても、憲法や法律論に照らして問題があれば、頑として受け付けないところがあった。そもそもそういう役所が内閣法制局だったのである。

 しかし、アフガン戦争やイラク戦争への自衛隊派遣を合憲とした頃からおかしくなり、昨年末、法律違反の政令をつくったことで決定的になった。そして、今回の、私が質問主意書を出して徹底追及した「内閣人事局長には国家戦略スタッフが兼任できない」との解釈で、この役所も所詮、官僚組織であり、その組織防衛のためには、法律機関としての矜持も簡単に捨て去ることを証明した。

 「法律違反の政令」とは、前にも論じた、天下りの各省庁個別あっせんの承認権限を、総理に引き上げた案件だ。再就職監視委員会の人事が国会で承認されなかったことで、その委員会の承認権限が行使できなくなったので、総理が直接、各省庁の天下りあっせんを承認できるようにした政令のことだ。法律には、その権限を「総理は委員会に委任する」と書いてあり、「委任することができる」とは書いていないため、下位規範たる政令で総理に権限を吸い上げることは法律違反なのだ。こんなことを「内閣の法の番人」は絶対にやってはいけない。

 そして、今回は、総理と行革担当大臣とで一旦決めた方針を、内閣法制局長官がひっくり返したのだ。わけのわからない法律論を振りかざして。先週出した主意書への答弁をここで引こう。

 「国家戦略スタッフを内閣人事局長に充てるとすることは、必ずしも国家公務員制度改革基本法が想定しているものとは考えられず、したがって、そのためには、同法の改正が必要となるのではないかと考えられるが、防衛参事官を官房長及び局長に充てることについては、これらの職がそもそも国家公務員制度改革基本法のようないわゆる基本法に従って設置されたものではなく、基本法の改正といった問題がなかったものである。」

 皆さんはこの答弁に納得されるであろうか。この答弁の胡散臭さは、「必ずしも、、、、想定しているものとは考えられず」「同法の改正が必要となるのではないかと考えられる」という表現で一目瞭然であろう。「必ずしも」「ではないか」「考えられる」と三重でぼかしており、端的に法改正が「必要」とは言っていない。時の総理が一旦指示した方針を覆すに足る十分な法的理由があるとは到底考えられない、霞が関文学では、うしろめたさ一杯の表現なのだ。

 悲しいかな、内閣法制局は終わった。その法律的頑強さで、かろうじて、その正当性を維持してきた組織が、みずから、そのレゾンデートル(存在意義)をうち捨てたという意味で、大変、悲しい出来事だ。霞が関の劣化、その極めつけが、この内閣法制局の劣化なのである。

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