公職選挙法の大改正を考えなければならない時期にきている。本当に志の高い優秀な政治人材の枯渇、地盤・看板・カバンのある二世、三世しか政治家になれない実態、そういう現実を変えていくためには、広く、国民の各界各層からの政治家への転身、いわば、普通のサラリーマンが明日から選挙に出られるというような選挙の仕組みにすることだ。
そのためには、政治家になる障壁を低くする必要がある。「障壁を低くする」とは、一つには、選挙にあまりお金をかけなくてもよくするということだ。
実際、私が選挙に出て驚いたことは、告示前の事前運動は法律で禁止されているはずなのに、そろそろ選挙があるのではないかと囁かれはじめると、町中に、大きな顔写真入りのポスターが貼りめぐらされることだった。何もわからない私も、最初の選挙の時、言われるままに、「事前ポスター」なるものを貼った。
幸い、自民党から出れば、ポスターを張る場所はいくらでもある。支援者には地主が多いので、マンションやビルの壁、駐車場の柵、農家の軒先など、ポスターを貼るスペースに困ることはない。法律では規制されない「事前ポスター」だから枚数に制限はない。結果、おびただしい数の枚数になり、その印刷代や紙代、貼る労力をアルバイトに頼めばその人件費等がバカにならない。
ちなみに、無所属になってからの私は、この「事前ポスター」なるものを一切貼っていない。お金がかかることもあるが、街の景観、環境を乱すことも甚だしいと考えるからだ。
それから、後援会への入会案内書や、入会申込ハガキ付きの政策リーフレットも、何万枚も作らなければならない。政策や主張を織り込んだ政策ビラも何種類もつくる。そして、駅や街頭に立って、演説しながら配る。また、後援会への入会勧誘と称して、各家庭にポスティングや戸別配布することもある。このリーフレットやビラの印刷代もバカにならない。お金のある政党候補の場合は、上質な紙に、きれいなカラー刷りの立派なものが多い。そうなら尚更だ。
この点でも、無所属になった私は、昔のガリ版刷りのような貧相な紙で、しかも自家印刷することでコストを安く抑えている。街頭でのビラ配りやポスティングを含めて、すべてボランティアの方々がやってくれるので、お金はかからない。
こういう事前運動が、なかば常識として、公然と許されている。それでは、なぜ禁止されているはずの事前ポスターやリーフレット、ビラの類が許されるのか。
ポスターの場合は、その片隅に小さく「個人演説会の告知」と書かれているのがミソだ。例えば、「江田けんじ個人演説会の開催、何年何月何日何時から、どこそこ」と書いてある。ポスターは、あくまでも演説会を告知するための広報媒体なのであって、決して、江田けんじ個人をPRする選挙活動ではないという位置づけだ。
しかし考えてみると、でかでかと顔写真入りで「江田けんじ」と書き、演説会の文字は見えないところに申し訳ないように書いてあるだけ。誰が見ても、演説会の告知ではなく、江田けんじ個人の政治家をアピールするためのポスターだと思うだろう。
まさに公職選挙法違反なのだから、選挙管理委員会も警察も、取り締まろうと思えば取り締まれる。しかし、与野党とも、全国各地で公然と「みんなで渡ればこわくない」をやっているのだから、やむを得ず放置しているのが実情なのだ。何とまあ、政治家という人種は、こういった「脱法行為」を考えることにかけては人後に落ちないものだ、と感心してしまう。
通常、「選挙にお金がかかる」という場合は、これらの事前運動にかかるのである。選挙期間中は、法律で厳格に、ビラやハガキの枚数が制限され、ポスターも公営掲示板にしか貼れない。また、公費助成があるので大部分の経費は賄える。昔ながらの供応接待や買収(もちろん選挙違反)でもやらない限り、実はあまりお金はかからない。
従って、私の結論は、この「事前運動」を、どういう名分であれ、法律の字義どおりに全面禁止するというものだ。その代わり、選挙期間中の運動を、「公営選挙」や「インターネット選挙」の導入により充実させる。そうすることで、現職に対し、新人候補の不利も緩和させることができる。住民にとっても、駅や街頭活動による騒音やポスター公害に、実際の選挙の一年以上も前から悩ませられることから解放される。選挙期間中だけ我慢すれば良くなるのだ。(「公営選挙」については次週)
Copyright(C) Kenji Eda All Rights Reserved.