今、麻生首相の、首相としての、いや政治家としての資質が厳しく問われている。しかし、私に言わせれば、やれ「経済通だ」「経営通だ」「国民的人気がある」「半径2mの男」「陽気で決断力がある」等々とはやしたて、首相に選んだのは誰なのかを問いたい。自民党の議員も議員だが、胸に手を当てて「うしろめたい」気持ちになる人は他にもいるだろう。
私は、もう一年半前の、福田康夫氏と麻生太郎氏の総裁選一騎打ちの時から、麻生氏の資質に警鐘を鳴らしてきた(直言「麻生氏に総理・総裁の資格はあるか?・・・自民党総裁選」2007/09/17)。その時は、福田総理・総裁の誕生で事なきを得たが、その一年後、麻生政権誕生時には、この国が危殆に瀕することを心から危惧し、二回にわたり、この政治家の正体をあばいた(直言「今日から麻生政権打倒に立ち上がる」2008/09/29、10/06)。
その時は、「江田の麻生への個人攻撃ではないか」「なぜ無所属の議員が自民党総裁選でそんなに熱くなるのか」等々と批判されたものだ。しかし、一国の宰相を選ぶ選挙である以上、一政治家としても、一国民としても、その地位に全くふさわしくない人が座ろうとしている時に手をこまねいているわけにはいかない。当たり前のことだ。
ましてや私は、政権や政府に長くいて、この問題に限ったことではないが、直接自ら知り得たことを根拠にモノを言っている。他の、伝聞情報に頼った評論家やメディアとは違うのだ。そうしたことを知っている以上、私にはそれを国民に説明する責任がある。
案の定、その後の麻生政権の展開は、私が言うとおりになってしまった。それを止められなかった責任は、もちろん私にもある。が、この政治の機能不全、いや、それ以前のあまりにも馬鹿馬鹿しい首相の発言の連鎖、国民のことを「屁とも思っていない」ふてぶてしさ、誤った選別意識等々、この経済危機の折りに、何という日本にとっての損失、不幸だろう。米国と違い、イラク戦争への支持や自衛隊派遣に賛成した人の懺悔も聞かれないこの日本で、同じように、麻生首相を選んだ、支持した責任も問われず、この日本という国は、これからも「なあなあ」で政治をやっていくのだろうか。
過去の私の指摘を以下に再掲し、今後の政治の行く末、その中における政治メディアや世論のあり方等に思いを馳せていただければ幸いである。
今週の直言(2007/09/17)
「麻生氏に総理・総裁の資格はあるか?・・・自民党総裁選」 より抜粋
── 麻生氏と言えば、小泉政権になって急に重用され、自民党政調会長、総務大臣、外務大臣、幹事長と要職を歴任してきた。にもかかわらず、これだけの責任あるポストと権限、時間を与えられてきて、一体、国民の心に残る実績を一つでも残してきたと言うのだろうか。
── 霞ヶ関を本当に御していけるのか。麻生氏の霞ヶ関内の評判はすこぶる良い。その理由は「官僚の言うことをよく聞いてくれる」「我が省の省益を実によく他省に主張してくれる」等といったものだ。霞が関にとっては「頼りになる兄貴分」といったところだろう。
── この人には、人の心の痛みが本当にわかるのかという疑念が消えない。過去には、日本の農産物輸出に関し「78,000円と16,000円はどっちが高いか。アルツハイマーの人でも分かる」とアルツハイマーで苦しむ人たちを馬鹿にするような発言をした。政調会長時代には「創氏改名は朝鮮の人たちが望んで始まった」という趣旨の発言をした。
── 麻生氏には、私が総理秘書官として仕えた橋本政権で、経済企画庁長官をやっていただいた。が、私には何をした長官なのか、失礼ながら、まったく存在感がなかった。そればかりではない。「9兆円の負担増」と経済失政の烙印を押され、その責任を一身に背負って退陣し、失意の内に亡くなった橋本龍太郎氏にとってみれば、その一義的責任は「経済政策の元締め・麻生太郎氏だ」との思いが強かったことだろう。
── このような人物を担がざるを得ないというところに、いよいよ自民党の人材も払底したということなのだろうか。
今週の直言(2007/09/17)全文
直言の直言(2008/09/29、10/06)
「今日から麻生政権打倒に立ち上がる」 より抜粋
── 私は、これまで純粋無所属、自民にも民主にも是々非々という立場を貫いてきたが、今日から、一日も早い麻生政権打倒に向けて行動を起こそうと思う。なぜなら、麻生政権が続く限り、日本の将来はないと考えるからだ。
── なぜか。それは麻生氏という政治家が、定見もない、歴史に学ばない、バラマキの、旧態依然とした政治家で、自民党を先祖返りさせるばかりか、この日本を90年代の「失われた10年」に引き戻す危険性が極めて高いからだ。
── 麻生氏は、よくメディアでも「経済通」と言われる。麻生セメントを一時率いたことから「経営通」とも言われる。とんでもないことだ。当時、麻生経企庁長官の下で働いていた大来洋一氏は、麻生氏のことを「万事、よきにはからえ」だったと述懐していた。私も当時の総理秘書官として証言するが、あれだけ経済や金融のことが大問題になっていた橋本政権で、麻生経企庁長官の存在感は「ゼロ」だった。
── また、私は20年前、通産省でセメント産業の構造改善を担当する課の総括補佐だった。そこでは、中堅セメントの雄、麻生セメント社長の麻生泰氏(麻生氏の弟)ともよく仕事をしたものだ。その麻生セメントを建て直したのは、その弟、泰氏の功績で、何も兄の太郎氏ではない。この点は、いみじくも、お父上の太賀吉氏が、太郎氏が衆院選出馬で会社を辞した時、「太郎が早く会社をやめてくれてよかった」という趣旨の発言をしたという話とも平仄があう。兄、太郎氏が新規事業に手を出しすぎ、会社がうまくいっていなかったのである。
── ここ日本では、ポストを歴任しただけで、何をしたかではなく、「経済通」とか「経営通」とメディアでは言われる。本人も何を勘違いしているのか、総裁選で自分と他候補との違いを「経験と実績」と自賛していた。そうなら、具体的にこれまで何をしたかが厳しく問われるべきであろう。
── 自らが閣僚として身をおいた橋本政権が決めた財金分離も反古にする。重責を歴任した小泉政権の構造改革も今は否定する。これまでの政治家としての経歴はいったい何だったのか。単にポストが欲しいだけの、定見のない、権力志向だけの男と評されてもしょうがないだろう。経済や経営も知らず、単なる過信家が行う政治は恐い。
── いずれにせよ、これから私は、麻生政権を一日も早く終わらせるためには何がベストなのか、それだけを考えて政治行動を決していきたいと思う。
今週の直言(2008/09/29)全文
今週の直言(2007/10/06)全文
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