霞が関・官僚の劣化が激しい。というよりも、今の官僚はなりふり構わないといった感じだ。昔の官僚なら、恥ずかしくてとてもできないようなことを平気でやっている。
法律違反の政令を臆面もなく制定するなどは、その典型であろう。公務員制度改革法の制定で、「人材バンク」(正式名;官民人材交流センター)が軌道にのるまでの3年間、各省庁個別の天下りの斡旋が許されることになった。しかし、その審査を行う「再就職等監視委員会」の委員人事が、国会同意を得られず、機能不全に陥ったことをいいことに、その承認権限を勝手に政令で総理権限に引き上げたのだ。
法律を読めば明らかだが、この個別斡旋承認権限は、総理から再就職等監視委員会に「委任する」と書かれている。法律を作ったことのある者なら自明のことだが、「委任する」と「委任することができる」は完全に違う。「できる」なら総理が直接、引き続き権限を行使することも可能だが、「委任する」と書かれている以上、総理には、その権限は法律では「ない」ことになっているのだ。その上位規範である法律でないことになっている権限を、下位規範である政令で総理に与えてしまう。法律違反の政令をと言わずして何と言おう。
日本はいつから「法治国家」でなくなってしまったのか。行政法の講義で一番最初に習う重要な原理原則、「法律による行政の原理」はどこに行ってしまったのか。あれだけ、法匪と言われた「内閣法制局」の権威もあったもんじゃない。所詮、内閣の法の番人と言えども、そのトップや幹部は各省庁からの出向官僚で占められているのだ。
天下りを頂点とする官僚の「一生安泰システム」。すなわち、その省庁に忠誠を尽くしていさえすれば、70、80歳まで「渡り」を繰り返しながら優雅な人生が送れる。この既得権益を守るためには、まさに「なりふり構わぬ」挙に出たということなのだろう。
そして、ついでに「渡り」の例外承認政令まで作ってしまった。これまで、天下りを繰り返す「渡り」については、霞が関は公然とは認めてこなかった。なぜなら、役所を一旦辞めた官僚OBは一民間人であり、その人の再々就職まで斡旋するのは、どう説明しても役所の仕事ではないからだ。だから、これまでは密かに水面下で「斡旋」を行い、表向きにはOBなので民間への情報提供をしてきただけだと強弁してきたのだ。それを今回、堂々と、しかも政令という法令で正当化してしまった。
これを許す麻生内閣も末期的だが、さすがの麻生首相も、世論の批判にたえきれず、先週の代表質問で、「渡り」斡旋の申請が出てきても私は認めないという国会答弁をした。しかし、それはあくまで「運用」の問題であり、その政令自体は撤回しないという。霞が関のドン、漆間官房副長官も政令は政令として残すと会見した。
こんなバカな話はない。一国の総理が認めないというなら、その政令は廃止すればいいだけの話だ。そんな手続きは一瞬にしてできる。それをやらないのは、霞が関として、あくまで渡りあっせんは「適法」だというお墨付きがほしい。総理が申請しても認めないという以上、渡り斡旋の申請はしないが、実際上、水面下で民間と話をつけ、お互い知らんぷりして「渡り」をすれば良いだけの話だ。だって、仮にばれても、それは政令で認められた「適法」行為ではないか。そこまで霞が関というしたたかな組織は考えている。
しかし「もういい加減にしろ」というのが国民の声であろう。「天下りの全面禁止」。この日本に巣喰うガンを摘出しなければ日本の将来はない。
私は元官僚としての天命として、天下りバンクと称される「人材バンク」の廃止、早期勧奨退職制度の廃止等で官僚が定年まで働ける人事制度の整備、それと引き換えに給与法の抜本改正による年功序列賃金の見直し・総人件費の抑制、労働基本権制約緩和で民間並みのリストラの実施等の公務員制度の抜本改革に向けて、今後とも邁進していく所存である。
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