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ガキ大将に足蹴にされたミソッカス・・・テロ支援国家指定解除

2008年10月20日  tag: ,

米国が北朝鮮のテロ支援国家指定解除を行った。しかも、日本にはその30分前に一方的に通告するという非礼な態度だった。それを聞いて、あの湾岸戦争開戦(91年1月17日)の時もそうだった、という記憶が蘇ってきた。

 当時は海部内閣で私も官邸にいた。内閣副参事官として、総理の演説の草稿づくり、内閣の国会対策等を担っていた。今でも思い出すのは、湾岸戦争開戦前夜、官邸で一晩夜を明かしたことだ。「明朝、米国はバクダッド空爆を始めるかもしれない」。ただ、残念ながら、その情報は当の外務省ではなく、軍事筋から石原信雄官房副長官経由でもたらされたものだった。

 それまで日本は、「ツーレイト、ツーリトル」と批判されながらも、40億ドルの湾岸周辺国支援等の貢献を行っていた。後には90億ドルにのぼる戦費支援にも、増税までして踏み込んだ。そのような日本に、米国は、今回と同じく開戦30分前に、べーカー国務長官が村田駐米大使を呼んで通告しただけだったのである。

 その時とくらべ、格段に深化したとみられていた日米同盟。特に、小泉政権時代には、我が国憲法の原理原則も、それまでの安全保障政策の相場観も大きく踏み外してまで、インド洋上に海自を派遣し給油活動、イラク戦争では、いち早く支持を表明し、人道復興支援と称して陸自、空自を派遣した。それもこれも、政府・自民党の表向きの理屈はともかく、「北朝鮮の拉致問題があるから米国には協力すべし」との情緒論だったことは記憶に新しい。

 それがこの様だ。通告してきたブッシュ大統領と麻生首相との電話会談も10分という短時間で、しかも地方出張先の浜松のホテルに夜11時頃かけてくるという非礼なものだった。しかし、10分という時間を考えると、通訳の時間も勘案すれば、麻生首相も「はい、わかりました」としか言わなかったのだろう。電話する方もする方だが、それを受けて日本の国益について何ら語らない、電話された方も方だろう。これが、米国にひたすら「媚びへつらう」外交の哀れな結末だ。

 確かに「テロ支援国家指定解除」自体は象徴的なものだろう。既に数ヶ月前からの既定路線でもあった。「解除」されても米国が言うように、人権や核実験、大量破壊兵器関係で、まだ数十の制裁措置が北朝鮮に課せられていることも事実だろう。悲観してばかりはいられず、今度こそ、日本外交の真価が問われる番であることも間違いない。このことは、以前の「直言」([07/Jul/08] 「テロ支援国家指定解除へ・・・問題はこれからだ!」)でも書いた。

 しかし、ここで私が言いたいことは、これだけ米国の対外戦略に協力し、そして、現下の金融危機にも日本の協力を仰がなければならない現状を前にしても、米国が日本をこのような扱いにしかしない根源の部分によく思いを致すことが必要だということだ。

 前にも言ったが、その本質は「日本は、ガキ大将(米国)の背中のうしろで指だけ出して、いつも『そうだそうだ』と言っているミソッカスと同じだ。そんな『ミソッカス』は、クラスメートからも尊敬されないし、当のガキ大将からも軽蔑される」(「直言」[15/Oct/07] 「ガキ大将とミソッカス?・・・米国とどう付き合うか」)という点にある。私が「米国にひたすら媚びへつらう外交の哀れな結末」と断じた趣旨である。

 もちろん、日米安保を含む日米同盟の重要性は、これからも変わらない。しかし、同盟というなら「対等の関係」が必要で、そのためには米国に耳の痛いことも言わなければならない。また、米国益と日本国益が衝突した場合は、当然のことだが、日本の国益を優先し、「NO」と言わなければならない。

 国際政治というのは怜悧な国益の争いであり、今回の米国のように、最終的には、同盟よりも国益が優先されるのが当たり前の世界だ。そういう意味で、日本の外務省も政治家も、「おままごと外交」「甘ちゃん外交」の域を一歩も抜け出せていないのだ。

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