世界的な金融危機が進行している。米国では名だたる投資銀行がすべて再編され、ロシアでは市場閉鎖が起こり、韓国では10年ぶりの経済苦況に陥っている。また、欧州経済の深刻度は、むしろこれから明らかになると言われるほど、その先行きが心配されている。
もちろん、我が日本も、株の暴落や、景気の先行指数である機械受注統計の大幅な落ち込み等厳しい経済情勢にあるのは同じことだが、幸いなことに、一部の地域行を除き、金融機関の健全性は比較的保たれている。これを受けた円高も、輸出企業への悪影響はあるものの、基本的に悪いことではない。
このような時であるからこそ、今、日本に求められていることは、世界の経済大国としてのリーダーシップであろう。何よりも、日本には、90年代後半から2000年代初頭にかけての、金融連鎖破たんから不良債権処理までの、貴重な経験がある。
当時、何もしなかった麻生太郎、中川昭一という政治家が、総理、財務・金融大臣を占め、どれだけ肉声でその「経験」を伝えられるかは極めて疑問だが、確かに、私がいた橋本政権時の「住専処理」、金融連鎖破たんを受けた預金保護、金融システミックリスクへの対応、資本注入等の経緯、経過、その反省と実績等を世界に伝えることは有益であろう。
とにかく、今の米国の状況は、当時の住専処理への税金投入を受けた日本国民の感情と酷似している。村山政権時に決定した住専救済、すなわち、6850億円の公的資金の投入は、当時のテレビ等の報道で「アリとキリギリス」まで出して批判された。なぜ、国民は毎日暑い最中コツコツと働いてきたのに、住専のような我が世を謳歌してきたようなキリギリスのために、アリの貴重な糧を供給して救ってやるのだと。
これが尾をひいた橋本政権では、金融連鎖破たんがあった後も、なかなか資本注入という税金投入が決定できなかった。あくまで国民の預金保護という範囲内での救済策に当初は止まったのである。
それが決済機能をもつ金融システミックリスクへの対応として、健全行を含めた資本注入をやっと決めたのが98年3月のことだった。しかし、この資本注入は、金融機関の財務状況も精査しない、どさくさの、良い銀行も悪い銀行も横並びの「護送船団注入」であった。この反省をもとに、本格的な「資本注入」を実施するのは、さらに1年の時日を要したのである。
その点、今回の米国やG7等の対応は、その当時と比較して迅速だとは言えようが、現在のデリバティブ、証券化商品等を駆使した「レバレージ金融経済」の脆さと広汎性、その崩壊のスピードの前では、遅すぎると評されてもやむを得ないだろう。
とにかく、この問題では、一時的な国民感情よりも、まさに政治の決意の発露として、不良資産の買取、預金の全額保護、金融機関への資本注入、実体経済への波及阻止等の、まさに「ありとあらゆる手段」を講じるべきだろう。そして、その際、比較的影響が軽微な日本がリーダーシップをとって、国際社会で「緊急かつ例外的な」措置を打ち出すよう主導すべきなのである。それが今の政権でできるだろうか。
政治家個人の立場としては、いち早く解散総選挙を打って、国民の信を得た、基盤の固まった政権で中味のある政策を打ち出していくべきとの思いはある。今の麻生政権のような、いつまで続くかわからない不安定な政権下では、霞が関官僚がまともな仕事をしないとの懸念も強い。しかし、現下の状況下では、「解散より金融対策、景気対策」「解散などやっている場合ではない」との声にしっかり応えることの方が政権にいる者の務め、との立場に、私としても肯んぜざるをえない。
要は、議論より具体的アクションだ。今後、いつ、いかなる具体的方策を、世界が政府が打ち出していくか、しっかり注視していきたい。
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