なぜか。それは麻生氏という政治家が、定見もない、歴史に学ばない、バラマキの、旧態依然とした政治家で、自民党を先祖返りさせるばかりか、この日本を90年代の「失われた10年」に引き戻す危険性が極めて高いからだ。
これからのことは、伝聞情報や受け売りではなく、私が直接知り得たことをもとに、実証的に書く。
麻生氏は、よくメディアでも「経済通」と言われる。麻生セメントを一時率いたことから「経営通」とも言われる。とんでもないことだ。
自民党総裁選での麻生氏の発言に唖然としたことがあった。「橋本政権時の9兆円の負担増。結果は4兆円の税収減で都合13兆円の目論み違いがあった。ここから学習しないのは愚かだ」。消費税の増税を問われた場合、オウム返しのように答えていたセリフだ。
しかし、まってほしい。その当時、経企庁長官として、そのマクロ経済上の影響を判断する責任者は誰だったのか。あなた、麻生さんだろう。それを言うなら、自らの不明を恥じ、国民に謝ってからにしろと言いたい。
この問題では橋本首相が国民に対し一身に責めを負って退陣したが、政府部内の一番の責任者は、麻生経企庁長官だったのである。橋本氏も後に、消費税の2%増や特別減税の打ち切り(大蔵省所管)、医療の患者負担増(厚生省所管)という省庁間にまたがる問題について、本来その影響度を分析・判断すべき経企庁が機能しなかったことを率直に反省している。
これを傍証するのが、当時、麻生経企庁長官の下で働いていた大来洋一氏の証言だった。テレビ東京のワールドビジネスサテライトに出演して、麻生氏のことを「万事、よきにはからえ」だったと述懐していた。私も当時の総理秘書官として証言するが、あれだけ経済や金融のことが大問題になっていた橋本政権で、麻生経企庁長官の存在感は「ゼロ」だった。
また、私は20年前、通産省でセメント産業の構造改善を担当する課の総括補佐だった。そこでは、当然、セメント会社の首脳ともよく付き合った(秩父セメントの諸井虔氏とその後親交を深めたのもこの時がきっかけ)が、中堅セメントの雄、麻生セメント社長の麻生泰氏(麻生氏の弟)ともよく仕事をしたものだ。
その麻生セメントを建て直し、ハーバード大学医学部と提携して麻生病院を再生したのは、その弟、泰氏の功績で、何も兄の太郎氏ではない。この点は、いみじくも、お父上の太賀吉氏が、太郎氏が衆院選出馬で会社を辞した時、「太郎が早く会社をやめてくれてよかった」という趣旨の発言をしたという話が新聞報道されていたことからも平仄があう。兄、太郎氏が新規事業に手を出しすぎ、会社がうまくいっていなかったのである。
ここ日本では、ポストを歴任しただけで、何をしたかではなく、「経済通」とか「経営通」とメディアでは言われる。本人も何を勘違いしているのか、総裁選で自分と他候補との違いを「経験と実績」と自賛していた。そうなら、具体的にこれまで何をしたかが厳しく問われるべきであろう。
(次号に続く)
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