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江田けんじ 衆議院議員 神奈川8区選出(横浜市青葉区・緑区・都筑区)

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ステルス複合体を可視化する・・・官僚主導を変えるには

2008年7月22日  tag: ,

 中川秀直氏の言葉を借りれば、改革に抵抗する官僚と、それと結託する族議員、さらには「過去官僚」と言われる政治家、御用学者等を「ステルス複合体」と言うらしい。それが日本の中枢に巣くい、国民を不幸にしている。

 私の言葉で言い直せば、官僚は「見えない落とし穴」をあちこちに掘り、政治家は知らない間にその落とし穴にはまり、はまったことすら感づいていない。いや、気づかせない術すら官僚は備えているのだ。事ほど左様に、「官僚主導マジック」は巧妙、精緻、芸術の域に達している。政治家ばかりでなく、オピニオンリーダーと言われる識者たちもこの術にはまってしまう場合が多い。

 正面攻撃をしてくる敵に対しては、やりようがあり、防御の仕方もあるのだ。しかし、官僚は面従腹背、決して正攻法では攻めてこない。まさに「見えない敵」なのである。

 「脱藩官僚の会」の最大の役目は、簡単に言えば、この「ステルス爆撃機」を見えるように(可視化)し、撃ち落としやすくすることだ。撃ち落とす人は政治家であり、メディアによる報道や取材であったりして良い。可視化の技術は、我々脱藩官僚が培ってきた「霞ヶ関の手の内」を、具体的ケース毎に、白日の下にさらすことだ。国民や政治家、メディアに対する情報公開と言っても良い。

 高橋洋一氏が指摘する「官僚の手口」、すなわち「霞ヶ関文学」と言われる「てにをは」の世界での巧妙なやり口が面白い。「完全民営化する」と「完全に民営化する」との違いだ。具体的には、日本政策投資銀行等の政府系金融機関の民営化時に実際に起こった。「に」という助詞が入っただけで、「官庁文学」では、民営化に更に二類型が追加されるのである。

 「経営」と「株式」という二面から説明すると、双方とも民間にゆだねるのが前者の「完全民営化」だが、後者には、「経営」は民間にゆだねるが「株式」は国が100%出資で持つ、もしくは「株式」は全部市場で売却するが「経営」には国の規制、関与を認める、という二類型が含まれるのだ。

 単に「民営化」といっても、後の二類型には引き続き、官僚統制を残そう、天下り先として残そうという意図がありありであろう。そこを突くと官僚は「単なる誤植」と開き直ったという。

 当時の担当大臣は、あの竹中平蔵氏。彼のような政策通ですら気づかない官僚の「見えない落とし穴」。ましてや他の政治家には望むべくもないであろう。それを高橋氏が事前に指摘して骨抜きを防いだ。脱藩官僚の会のやるべきことの象徴的事例であろう。

 ただ、一方では、官僚以上に特定の政策領域について詳しい「族議員」と言われる政治家たちがいる。この人たちが厄介なのは、その官僚と結託して私腹をこやし、利権を漁り、決して、自分たちにとって都合の悪いことは隠蔽してしまうことだ。

 「後期高齢者医療制度」が典型例で、一方で、医療制度の何たるかも知らない政治家が多い中で、二年前の強行採決時から制度の仕組みを良く理解していたが、正直に情報公開すれば大問題となると察し、あえて説明しなかったという政治家(厚生族のドン)も少数ながらいたのだ。だから、今になって国民的批判をされ「説明責任をもっと果たすべきだった」というのは、白々しいにもほどがあるのだ。確信犯だったからだ。

 「ステルス複合体」は、それほど撃破しにくい厚い壁なのだ。「最近、政策立案能力を持つ若手政治家が増えてきた」「政策新人類も出てきた」といったレベルでは、とても太刀打ちできないのが、残念ながら、現状だ。だから、政治家が本来の役割、機能を果たせるようになるまで(「百年河清を待つ」感があるのは否めないが)、我々脱藩官僚が、その隙間を埋めていくしかないと考えている。

民間事務局長さんへ・・・公務員制度改革推進本部発足
若手官僚よ、決起せよ!・・・率先して身を切れ!