シリーズ/なぜ国際貢献なのか?・・・ (7) 無茶苦茶な論理『テロ特措法』
2007年12月 3日 tag:
その為政者のレベルの低さというか、はたまた「米国追従の確信犯」とも言うべきか、その象徴的な事例が「テロ特措法」だった。この自衛隊の海外派遣の新たな原理原則を決める法律が、極めていい加減なロジックで、いや、とてもロジックとは言えない論法で、数の力だけで押し通されてきたのである。
覚えている方もいるだろう。このテロ特措法の国会審議(衆院予算委2001年10月1日)で、当時の小泉首相は、「集団的自衛権の行使」に肯定的な民主党議員の質問(挑発?)に答えて、こう言ったのだ。
「憲法前文と憲法九条をどうやって調整するか。憲法前文は、世界と協調しながら国際社会の中で日本は名誉ある地位を占めたいと高らかにうたっております。そして、自国のことのみにとらわれて他国を無視してはならない。そういう中でいかに国際協調を果たしていくか」とした上で、
「私は、総理になる前から言っていたのです。集団的自衛権の行使を認めるのならば憲法を改正した方がいいと。今、状況を考えて、憲法を改正するような状況じゃないですよ。その中でいろいろ知恵を出して、憲法の前文と憲法九条の間のすき間、あいまいな点があるところを、どうやって国会議員の皆さんの知恵をかりながら日本ができることをやろうかということを考えている」と言い、
「確かにあいまいさは認めますよ、あいまいさ。すっきりした、明確な、法律的な一貫性、明確性を問われれば、答弁に窮しちゃいますよ」と率直に認めているのである。
すなわち、憲法前文が要請する「高らかな国際貢献」と、これまでの憲法九条の政府解釈「集団的自衛権は行使しない」との間にはすき間がある、集団的自衛権を行使できる「普通の国」であればすき間はないのだが日本の場合はある、このすき間は憲法上のすき間なので本来憲法改正で埋めるべきだが、改正できる状況ではないので、そこは知恵を出して埋めていこう、すなわち、このテロ特措法で埋めるのだ、という答弁なのである。
驚くべき答弁である。憲法にすき間があるなら、それを埋められるのは、小泉首相がいみじくも指摘するように憲法改正でしかない。あるいは、好ましくはないが従来の憲法解釈の変更でしかない。憲法を下位規範たる法律で変えられないのは法律学のイロハを知っている者にとっては当然の法理だ。
しかしそこを、小泉首相はテロ特措「法」で強引に突破したのである。言い換えれば、小泉氏も暗にテロ特措法は憲法違反の法律であることを認めていたのだ。今、小沢民主党代表の「テロ特措法は憲法違反だ」という考えを、自民党や民主党の一部の議員ですらが「理解に苦しむ」と言って批判しているが、当の自民党のトップ自身が、当時、憲法違反と認めていたのである。「何をかいわんや」であろう。
何度も言うが、小泉首相、小沢代表の言を引くまでもなく、米国が自衛戦争と位置づける戦争に、兵站業務といえども、後方支援といえども、加担・協力をするのは「集団的自衛権」の領域に踏み込むことなのである。
さらに、直接テロ特措法での議論ではないが、「非戦闘地域」「後方支援」という同じロジック・構造で自衛隊の活動を正当化する「イラク特措法」での国会審議でも、驚くべき小泉首相の答弁がある。こちらの方が覚えている方も多いであろう。
この法律の根幹、肝心かなめの「ミソ」である「非戦闘地域」とは何処かと聞かれ、「そんなことを今、私に、訊かれても分かるはずがないじゃないですか!」と一喝。当然、それでは済まずに更に問いつめられて「自衛隊のいる所が非戦闘地域だ」とトートロジーを駆使して開き直る。実に、世が世なら総理の首が飛ぶような国会答弁をしても、何事もなかったように通ってきたのが、このイラク、テロ特措法なのである。
このような杜撰な、極めていい加減な説明で、いや「思考停止」で、軍隊たる自衛隊の海外派遣をしてきたかと思うと、怒りを通り越して恐ろしくもなってくる。戦前の悪夢を思い起こすまでもない。
この一事をもってしてもこの際、テロ特措法であれ、テロ新法であれ、一旦リセットし、あらたに自衛隊の海外派遣の原理原則をしっかりと打ち立て歯止めをかける「安全保障基本法(一般法)」の議論を、与野党一緒になってスタートすべき必要性がお分かりだろう。それが日本の将来の平和のために、死活的に重要なのである。
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