安倍政権と橋本政権の違い・・・98年参院選惨敗 橋本退陣
2007年7月23日 tag:
各社報道機関の議席予想が出て、すべて「自民党過半数割れ」の結果が出ている。それに伴い、安倍首相が選挙後、続投するのかしないのかも焦点となってきた。しかし、98年惨敗時の橋本政権と、今の安倍政権には基本的に違う点が、少なくとも二点はある。
まず、前提となる考え方を整理しておくと、「憲政の常道」からは、参院選で敗北しても時の首相は責任をとらなくても良いということだ。橋本退陣の時も、それを承認する自民党総務会の席上、故山中貞則議員が同じ主張をされた。確かに、参院選で過半数を割っても、衆院では300議席以上の圧倒的多数の議席があるのだがら、衆院に首班指名の優越性が認められている以上、退陣する必要はない。
しかし、政治というのは、こうした「理屈」だけでは御し得ないのだ。それではなぜ、橋本首相は退陣を決意したか。
まず第一の点は、橋本政権が、宿命的に「参院選を強く意識せざるをえない政権」だったことだ。その生い立ちをみれば明らかで、95年の河野総裁・森幹事長で戦った参院選、結果は46議席という敗北だったにもかかわらず、その責任を総括しようとしない執行部に反旗を翻して総裁になったのが、橋本氏だった。
橋本首相の口癖も「すべて(98年の)参院選から逆算してくれ」で、我々や党の幹部にも、それに向けての政策アジェンダ等の設定を求めた。その参院選に負けたのだから、こんどは自分が「居座る」という選択肢はなかった。
第二に、参院選に至るまでに、政権運営の舵取りが限りなく重くなっていた。これはここで初めて明かすが、その年の初めから、橋本首相は、ご家族には「もう辞めたい」と漏らし、私にも同じことを言われていた。その前年の秋に起こった金融連鎖破たん(北拓、山一証券等)、それが引き金となった不況への突入、そして、不良債権という構造的な問題に十分対処できない大蔵当局、それどころか、後から後から出てくる大蔵・金融スキャンダル・・・・。
それまでの橋本政権は、中央省庁の再編や金融ビッグバン、五大改革、六大改革等で、党をないがしろにしてまで官邸発、官邸主導で政策を打ち上げ、実行してきたのに、佐藤孝行氏の入閣問題(九七年九月)をきっかけに内閣支持率も急落し、徐々に、政権運営の主導権が党の方に移っていく。それに伴い、総理の政権担当意欲も萎えてきていたのだ。
それを決定づけたのが、参院選直前の「恒久減税」発言をめぐる迷走だった。当初は、年末に控えていた税制改革について「恒久的な制度改革」を行うと発言し、決して、「減税」とは言っていなかったのだが、最終的には党に押し切られ、投票日直前に「恒久減税」を約束した。完璧にパワーが官邸から党にシフトした瞬間だった。
だから、橋本首相は、参院選の結果を聞いて、何の躊躇もなく自ら退陣を決めた。私も当然と考え、まったく引き留めなかった。もう政権の限界だと感じていたし、潮時とも考えていたからだ。竹下私邸では、平成研(小渕派)の幹部が次期総裁を巡って、早々に小渕氏を担ごうと相談していたようだが、そんな動きとは全く関係なく、橋本首相は退陣を決めた。当時、竹下氏が橋本氏を称して「もののふ(侍)やなあ」と言った話は有名である。
一方、安倍首相、安倍政権はどうか。もちろん、橋本氏のような、参院選の(自己)呪縛もない。政権運営という面を見ても、むしろ「何でも官邸団」と言われるように、党、国会に対して、少なくとも今までは官邸優位の運営を続けてきた。会期延長と強行採決の連発で重要法案を成立させたきたことからも明らかだ。教育関連法や国民投票法、日中関係改善等の実績を背景に、安倍首相本人の政権担当意欲も高い。敗北しても、安倍首相が自ら辞めるという選択肢はとらないだろう。
しかし、選挙で「信任しない」という民意が出て居座れば、内閣支持率は更に下がる。「選挙の顔」として総裁にしたのに、その選挙に負ける。それを自民党議員がどう受け取るか。非主流派(旧宏池会等)を中心に不満のマグマが吹き出すだろう。一方で、小沢民主党は、衆院解散に追い込むために、参院で徹底的な抗戦を挑んでくる。こうして、選挙後の政局は「何でもあり」の様相を深めていく。
(今後の政局、政界再編の動き等は来週の直言で)
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