エリツィン氏逝去に何もしない日本・・・(上)冷え切る日露関係
2007年5月 7日 tag:
エリツィン前露大統領が逝去した。パパブッシュやクリントン、メージャーら、90年代の世界の指導者たちが参列した葬儀に、日本からの首相級特使の姿はなかった。「対ロ外交極まれり」というか、「対ロ無策」の日本外交の姿がそこにあった。
それだけではない。メディアも政治家も識者と言われる人たちも、そもそも、それを問題にすらしないのだ。日本からの弔問客の姿をテレビ画面の中で探した私だったが、新聞等を含め、極々一部の例外を除き、日本からの出席者の固有名詞を報じた記事や報道もなかった。予想外に「過去の人・エリツィン」のカバレッジが、ここ日本でも大きかったというのにである。そうした問題意識すらなかったというしかない。
いや、葬儀への対応を検討すべき外務省でさえが、まったく「ノーテンキ」だった。怪訝に思った私が直接確かめてみると「モスクワ行きの、葬儀に間に合う飛行機がなかった」。「韓国は前首相が行っているではないか」と問いただすと、「インドや中国、オーストラリアも行っていないんですけどねえ」と言い訳めいた答え。鈴木宗男・佐藤優問題のあとの外務省ロシアスクールの劣化はここまで来ているのか。
振り返れば、私が、何本かの取材の電話でエリツィン死去を知ったのが、4月25日(月)夜11時頃。私の耳にすら入っているのだから、官邸にも当然それ以前に一報され、普通なら、葬儀への政府特使が検討される。丁度、翌日朝が火曜日で定例閣議の日だから、そこで特使人事を決定すればいい。
適任者は、対ロ外交で尽力した橋本元首相も小渕元首相も鬼籍に入っているのだから、森元首相をおいて他にはいない。飛行機は、確かに連休中、安倍首相が米国・中東外遊で政府専用機を使用する予定だったから商用機となるが、死去の翌日、昼12時発の便に乗れば、ゆうに翌日の葬儀には間に合った。何をかいわんだ。政治の劣化も甚だしい。
要は、安倍首相も塩崎官房長官も麻生外務大臣も与党幹部も、ここまで世界の耳目を集める葬儀になるとは露とも思わず、駐ロ日本大使の参列でお茶を濁したということだろう。あとの祭りである。いくら「過去の人」の葬儀で「国民的人気は今ひとつの人物」の葬儀とはいえ、ロシア人の目に映った、それを軽んじた日本の姿の残像は容易に消えはしない。今後の平和条約や北方領土問題に響くこと必定であろう。
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