なぜ私が天下りの禁止にこだわるのか
2007年4月 9日 tag:
私が「天下りの禁止」をずっと訴えてきたのは、なにも「官僚憎し」「官僚バッシング」をしたいがためではない。一官僚OBとして、官僚、特に若手官僚の名誉回復、信用回復のためにも、自ら率先して「天下りの禁止」をしないと、一生浮かばれないと思っているからだ。
週末の霞ヶ関官庁街を車で走ってみるがいい。深夜まで役所の灯りが点いている。何も好きこのんで残業をしているわけではない。本来、唯一の立法機関たる国会、その政治家が法律を作らないものだから、官僚が政府提案の法律案や予算、政策を作っているのだ。
私の例をひけば、20代、特に、通産省の官房総務課という部署にいた頃は、省全体の法律立案の審査担当(法令総括)として、100本以上の法律を作り、月200時間の残業はザラだった(朝日新聞の「臨死体験」記事参照)。しかも、残業代は、組合が強いものだから「人頭割り」。残業をしてもしなくても一律2万円だったから、時給100円で頑張っていたわけだ。しかし、文句一つ言わなかったのは、少しでも国家、国民のために役立っているという強烈な自負があったからだ。
しかし、今はどうだろう。官僚であることが、官僚OBであることが、何か犯罪人のように扱われ、国民から白い目で見られる。大蔵、外務スキャンダル、社保庁問題等、度重なる不祥事や税金のむだ遣い、そして天下り。自業自得だが、これでは、日夜、徹夜徹夜で頑張っている官僚はやるせないだろう。
だから、最近は、優秀な人材が霞ヶ関に入ってこない。東大法が良いわけではないが、とうとう農水省には東大法出身が一人も入らないという事態も生じた。聞くと、東大法の優秀な人材は、まず、法科大学院に進み、次に外資系の金融機関等に行くという。我々が入省した当時(昭和54年)とは隔世の感がある。
今、天下りの斡旋禁止に伴う「人材バンク」の問題で、一切、斡旋、天下りを禁止してしまうと、優秀な人材が霞ヶ関に集まらないという議論もあると聞く。とんでもないことだ。近時、官僚が敬遠されているのは、「官僚バッシング」や「世間の白い目」、「仕事のやりがいのなさ」等に嫌気がさしているからだ。決して、将来、保証されていた天下りができなくなるから、という理由ではない。しかし、こんな議論が出るということは、官僚も馬鹿にされたものだ。
確かに、同期20人前後の中に、将来の安定、天下りを念頭に、入ってきた者が一切いないとは私も言わない。しかし、私も含めて大部分の官僚は、一私企業の利益のために働くよりも、公益、より国民、国家のために働きたいという志をもって就職を決めたのだ。最近の若者は、より現世利益に聡いと言われるが、官僚になろうという若者は、基本的に我々の世代と変わっていないのではないか。
しかし、この高い志が変化し始めるのが、40歳前後、管理職になり始める頃だ。この時点以降、純粋な政策的思考から、役所の組織防衛、省益確保、特に天下り先の確保等に配慮せざるをえなくなる。次官や官房長等から、補助金や権限、団体の設立等で、それなりに「肩たたき官僚」をはめこめるよう、陰に陽に要請されるのだ。そして、昔の言葉でいえば、「大蔵一家」「通産一家」という、70歳まで「食いっぱぐれ」のない「終身安泰システム」、すなわち天下りのシステムが確立されるのだ。
数十年来、営々と築きあげてきたシステムを壊すのは大変なことだ。抵抗も並大抵のことではないだろう。しかし、官僚は、もう「天下りの禁止」や「税金のむだ遣いの解消」をしない限り、どんな立派な仕事をしても評価されないだろう。世間の風は予想以上に厳しい。ただ、官庁街で同質性の高い人種とばかり付き合っていると、こうした「世間の常識」は体感温度としてわからないらしい。
だから私は、官僚出身の政治家として、母屋の役所と縁を切っている「脱藩官僚」として、この「天下りの禁止」をライフワークとしているのだ。天下りが存続する以上、それを維持するために、不必要な予算や組織、権限が温存される。「税金のむだ遣い」が半永久的に続く。そして、霞ヶ関の士気を高め、優秀な人材が集まるためにも、自ら率先して「身ぎれい」にし、昔、「日本は、政治は三流でも官僚が一流だからもっている」と言われた評価に、役所を戻さなければならないのだ。
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