『地方分権はバラ色か?』・・・改革派知事逮捕
2006年11月27日 tag:
改革派とかクリーンと言われた知事さえが、官製談合や収賄で次々と逮捕されている。これでは地方分権といっても、「権限」や「お金」をおろした先が腐っていたのでは何にもならない。検察や警察も、それを意識して意図的な摘発を進めているのかもしれない。
私は、かつて拙著「誰のせいで改革を失うのか」(99年12月刊・新潮社)で次のように書いた。「地方分権はバラ色か?」「地方自治体の質、量面の行政能力、受け皿能力というものを考慮にいれておかないと、結局国民が迷惑を被ってしまうだけだ。」
誤解なきように言っておくが、もちろん私は積極的な地方分権推進論者だ。政権にいた当時も、地方を国の隷属関係に置く「機関委任事務の廃止」をはじめ、不十分ながら分権を進めてきた。しかし、その当時から懸念していたのは、県庁や市役所の「受け皿能力」、すなわち、トップや職員の資質、能力、志の問題だった。中央省庁ばかりの問題点がクローズアップされるが、現実問題、地方自治体のレベルはそれ以下の場合が多い。
したがって、地方分権を進めるなら、その先の地方自治体改革も同時に進めなければならない。今回の一連の知事逮捕劇は、政官業の癒着打破のために分権したら、その先には、もっと「きめ細かな政官業の癒着」があったという笑えない話だ。
ここ横浜市も例外ではない。昨年、市有地の払い下げを巡って、談合疑惑が報道された。入札に参加した企業の価格が33億3333万3333円と一円単位まで同じだったのだ。報道によると「事前に談合情報がありながら、横浜市が市有地売却を予定通りに強行、名指しされた企業が落札した」という。しかも、入札のやり方にも不正があり「通常、開札は入札者の目の前で封を切るのが一般的だが、その時は仕切りの向こうで開札され、しかも15分近くもかかった」という。「もともと、落札企業の入札価格は空欄で、他者の価格を見て、市の担当者が書き入れたのではないか」との疑惑まで持ち上がったという。同じ改革派といわれる中田市長のお膝元で起こった事件だけに、市議会や捜査当局による真相究明が待たれる。
政治は、国も地方も、一体いつまでこうした古い図式を続けるのだろうか。諸悪の根源は「政官業の癒着」にあることは、とうにわかっている。議員でも首長でも、選挙の時に組織票や多額の献金でお世話になった企業・団体に、口利きや官製談合で恩返しをする。ある意味では人情とでも言うべき次元の問題だ。当初はいくら格好いいことを言っていても、当選回数を重ねるにつれ、この「政治とカネ」の呪縛で政治家は奈落の底に落ちていく。
こうした事態を受け、小泉前首相は一時、公共事業受注企業からの献金は禁止しようと提案したが、その後検討されている気配はない。それどころか、外資系企業からの献金を新たに可能とする政治資金規正法の改正案まで出ている。経済団体も都市銀行も、政治献金再開に向け余念がない。
しかし、企業団体献金の禁止は、細川政権当時、300億円を超える政党助成金を導入する代わりに国民に約束したことだ。それは、税金投入の代わりに「政治をクリーンします」という決意表明だった。なのに、いつのまにか、助成金と献金の二重取りになっている。国会で企業・団体献金の禁止を言っても「そんな青臭いことを」と日本人的「なあなあ主義」で曖昧にされる。マスコミも一時ほど熱心ではなくなった。こんなことではいつまでたっても政治は変わらないだろう。
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