『本当にお疲れ様』・・・竹中氏、大臣辞職と同時に議員辞職
2006年9月18日 tag:
竹中平蔵氏が、小泉政権終了と同時に、大臣だけでなく参議院議員も辞職することを表明した。「無責任」「投票した有権者への裏切り」等々の批判は甘受すべきだが、私には、彼の気持ちが手に取るようにわかる。
レベルも次元も違うが、私も竹中氏と同じような境遇にあった。「弱冠39歳の官僚出身の若造が、ちょっと総理に気に入られたぐらいで国政を左右するのはけしからん」。当時私は、橋本内閣の総理秘書官として、官邸機能の強化(経済財政諮問会議の設置等)や大蔵省の分割、郵政民営化等の中央省庁の再編をすすめていた。行革の標的にされた官僚や族議員からの誹謗中傷や脅迫は常だったし、そうした意向を反映し、一部下世話なマスコミからもバッシングを受けた。
竹中氏にも「学者あがりのバッジも付けてない人間が、小泉首相の威を借りて」という批判がつきまとった。永田町は「嫉妬、嫉(そね)みの海」である。今、自民党総裁選で、勝ち馬の「安倍晋三列車」に乗り遅れまいと雪崩現象が起きているのも、「大臣病」「ポスト病」の患者が絶えないからである。
「選挙で選ばれてもいない人間が」「我々はこんなに苦労して選挙区で勝ち上がって来ているのに」。そんな気持ちもお構いなしに、自分たちを差し置いて出世街道を歩き、重要な国政を左右する。その後何度か選挙を経験した私には、そうした議員心理はそれなりに理解できるが、外部からポンと政治の世界に入り重用されると、政策の是非にかかわらず、途端にバッシングの嵐にさらされるのが宿命だ。
かく言う私も、橋本政権が終了すると同時に、20年間勤めた官僚の世界からも身を引いた。行革の嵐が吹く中、縦割りでひたすら組織防衛に走る官僚にも、確固とした信念もなく官僚に操られ、人の顔色を見て平気で嘘をつく八方美人的な政治家にも、ほとほと嫌気がさしたからである。竹中氏の胸を今去来するものも、五年半にわたった族議員、官僚との「戦い」であろうし、記者会見で一瞬涙ぐんだのも、小泉改革を全身全霊で支えてきたという自負から、万感胸に迫るものがあったからだろう。
それでも来るべき新政権で大臣職にとどまれるなら、「まだ一勝負」という思いもあったにちがいない。しかし、それも叶わないとなれば辞めるしかない。なぜなら、単なる一介の大臣ではなく、総理からの全幅の信頼を受け、政権の中枢で腕をふるった人間として、一国会議員の非力さ、存在感の無さは重々認識したであろうし、そうした中で帰る先が、あの守旧派の砦「参議院」であることも大きなためらいとなったことだろう。どうせ「冷や飯」を喰わされること必定だし、考えてみれば、元々、議員になったのも小泉首相に参院選の「人寄せパンダ」として強引に説得されたからだし、「バッジもなく」という批判に応えるためでもあった・・・・・・。
私の場合、辞職した後、人生を一度リセットするために「プータロー」となってハワイに渡った。竹中氏は今後どうするのか。引く手あまただろうが、是非、日本の社会では政治家より尊敬されている大学教授に戻り、その公正中立性の立場を存分に活用して、言論、評論の世界で活躍してほしい。
残念ながら今、政治評論の世界では、政治も行政も選挙もやったことがない、外野席からの意見が我が物顔で大手を振ってまかり通っている。政治に「清新な素人の感覚」をくみ取ることは必要ではあるが、野球やサッカーの試合の解説を、野球やサッカーの選手でもなかった人がしても誰も聞かないだろう。その点、竹中氏は選手、しかも野球でいえば、エース級のピッチャーかクリーンアップを打つバッターだった。その政権中枢にいた人間でしかわからない、得られない知識・経験をもとに、地に足ついた活動をしていただきたいものである。
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