『戦争への道は歩まない(上)』・・・8/15の誓い
2006年8月21日 tag:
「二度と戦争への道は歩まない」。十年前の私なら、たとえ心の中で思ってはいても、わざわざこんなことは言わなかったろう。しかし、最近では、あえてこの言葉を口に出して言わなければならないほど、我が国が戦前への回帰、「戦争への道」を歩みつつあるような気がしてならない。
つい一昔前までは、こんな言葉は共産党か旧社会党の専売特許だった。そこには「非武装中立」、現実の国際社会のパワーポリティックスへの問題意識なぞ微塵もない、「能天気」な安全保障観があった。もちろん私が、そんな考えに帰依してしまったということではない。
しかし、小泉首相が靖国神社を終戦記念日に参拝して、何も考えず「胸がスカッとした」「颯爽としてカッコいい」という若者が多い。中国や韓国の反対もものかは、毅然と決行したことで快哉を叫ぶ世論も根強いようだ。そこには「相手の立場に立って物事を考える」という人間同士の付き合い方の基本もなければ、戦争の加害者たる謙虚な気持ちもない。
「いやそうじゃない、毅然として我が国の主張を貫くのだ。そこがこれまでの外交にはなかった」との反論も聞こえてきそうだ。戦争責任については「もう中国や韓国へは十分謝った」とでも言いたいのだろう。
念のために言うが、私も、国際社会で日本の立場を毅然として「物言う」外交に転換すべきだという点については人後に落ちない。しかし、我が国が「スネにキズ持つ」こうした分野で突っ張る覚悟があるなら、なぜ、瀋陽での駆け込み事件やアジアサッカー時の暴動・日本大使車への狼藉、原子力潜水艦の領海侵犯事件や昨年の反日デモ等での領事館被害など、相手に非がある問題で毅然とした態度がとれないのか。こうした「物言う毅然とした外交」が一番求められる分野では、みごとなくらい曖昧決着で終わってしまっている。
そこに私は、小泉政治の「胡散臭さ」を感じるのである。国益ではなく「自分益」、すなわち、好きなこと、関心のあることしかやらない。一政治家の自己満足、いわば「つまみ食い政治」の真骨頂だ。内政を振り返っても、「構造改革」では、「郵政民営化」と「道路公団民営化」のつまみ食いだった。好物だから、それだけは本気で本当においしそうに食べるが、その他のものには目もくれない。結局栄養失調、発育不良で終わってしまう。
さらに言えば、私は首相の靖国参拝に反対(今週の直言[27/Jun/05]「首相の靖国参拝是か非か?」参照)だが、仮に信念で行くなら、当然、首相としての事後収拾策、すなわちダメージコントロール、リスクマネージメントがなければ、それは「駄々っ子」と同じだと考えている。しかし、小泉首相は「私は日中友好論者だ」「いつでも首脳会談に応じる」と口先だけで言うだけで、アジア外交への戦略も戦術のへったくれもない(以下、来週の「直言」に続く)。
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