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江田けんじ 衆議院議員 神奈川8区選出(横浜市青葉区・緑区・都筑区)

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政界のリトマス試験紙として・・・小泉政権5年

2006年5月 8日  tag:

 今年は、「真贋」、すなわち「本物」と「偽物」をよく見極める年にしたい、と自戒もこめて考えている。「無所属」というのは限界もあるが、何のしがらみもなく、自由に自分の頭で考え、決断し、行動することができる。

 ちまたでは、背後に思惑を秘めた評論や評価が散乱しているが、インデペンデント、フリーランスとしての立場から、ここはなるべく公平中立に、もっと言えば「国民本位」に物事を判断していきたい。できれば「政界のリトマス試験紙」として、その真贋を世の中に明らかにできればと思っている。口幅ったいが、それだけの知識や経験は、これまで首相官邸や政府の中でさせていただいてきた。

 小泉政権5年の評価もそうである。もともと私は、本会議での法案賛否でも、以上の尺度から良いと思えば、政府与党案にも賛成するし、民主党案にも賛成する。そして、その理由は、会報やホームページ、街頭演説等で明らかにしていく。こういった政治姿勢を今後とも堅持していきたい。

 さて、その小泉政権である。私も、この内閣が歴代内閣に比べてよくやっていることは認める。国民の高い評価もおそらくその辺りにあるのだろう。しかし、そんな基準でトップリーダーを評価できるほど、この日本が置かれている状況は甘くない、と思う。今この時に首相という地位にある者として、「世界一の少子高齢社会」の日本を救えるだけの成果をあげているかどうかが本来の評価基準であるべきだからだ。国がつぶれてしまえば、「歴代に比し云々」なんてことは何の意味もなくなる。

 その意味で、小泉首相が心血を注いだ「道路公団改革」も「郵政民営化」も、単なる「組織いじり」で終わってしまった。

 前者は、そもそも「無駄な道路はつくらせない」ということで始まったのに、二月の国土交通省の審議会では、案の定、9342㌔の高速道路は、当初の計画通り全線つくられることになった。一部着工しない区間も決めたとの反論もあるが、そこで書かれた「(当面)着工しない」とは、官庁用語では「いずれ着工する」ということを意味する。これでは45年後に借金40兆円を返済し通行料をタダにすることなどおぼつかない。確かに料金値下げや談合体質の摘発、ファミリー企業問題等で成果があったことは認めるが、所詮、枝葉末節でいくら改革をしても、肝心の幹の部分が腐っていては何にもならない。

 郵政民営化でも、郵貯・簡保に預けている国民の大事なお金が、財政投融資という「打出の小槌」を通じて、これからも無駄な国や特殊法人の事業に流されないという保証は全くない。また今後、郵政新会社が、政府出資(暗黙の政府保証)を受けたまま「貸出し」や「医療・介護保険」等の新規分野に参入してくると、逆に「民業圧迫」の弊害も出てくる。

 地方の自主性を発揮させるために行った「三位一体改革」も、義務教育費国庫負担制度の維持(国庫負担を単に1/2から1/3に削減)に象徴されるように、相変わらず、中央省庁の地方への口出しを許す形で決着した。医療や年金改革も、負担を増やしたり給付を減らしたりの「財政の帳尻あわせ」、将来にわたって持続可能な「百年安心の制度」とはとても言えない。

 確かに「不良債権の処理」は格段に進んだ。それも一因となって景気も回復基調にあるわけだから、そのことは率直に評価しなければならない。しかし、主因は、中国や米国への輸出が堅調であることや、何よりも民間企業の血のにじむようなリストラ努力や電子機器をはじめとした新製品開発だ。経済の循環要因というのは昔より衰えたとは言え、5年も政権をやっていれば景気が上向かない方がおかしいとも言える。

 厳しすぎる評価かもしれない。しかし、私は小泉首相の「構造改革路線」に強く期待をしてきた。その分、かえって失望感も大きいのかもしれない。次の政権は「本物指向」。「劇場型政治」や「浮ついたパフォーマンス」、「ワンフレーズポリティックス」から決別して、じっくりと腰をすえて、改革に魂を入れていってもらいたいものだ。そろそろ国民もそれを望んでいる。

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