小沢民主党の船出に思う
2006年4月10日 tag:
小沢民主党が船出した。兎にも角にも、これを節目に緊張感のある国会に戻したい。その意味で、野党第一党の民主党にはしっかりしてもらわなければ困る。後半国会には、医療制度改革や行政改革等の重要法案が控えているからだ。
私の立場は、繰り返すまでもないが、自民でも民主でも何党でも、国民本位の改革を本気でやろうという政党があれば、よろこんで参画・協力するというものだ。ただ、議員年金を廃止すると名打ちながら平気で継続する法案を通したり、道路公団を民営化しても何事もなかったようにムダな高速道路を全部造る、郵政を民営化しても郵貯・簡保のお金をばらまく体質をあらためない。こういった政党政治が我が物顔にまかり通っているから、頭を抱えているのだ。
そういう意味で小沢民主党に期待できるのか、この党が本当に政権を担える党になるのかどうか。その見極めをするためにも、この党が、一度は「小沢カード」で行き着くところまで行ってみるしかなかったことも事実だ。それが「小泉政治」を超えるのなら、それはそれで良し。「剛腕」も「経験」も見かけ倒しで、結局「壊し屋」の面目躍如になるのなら、それでも良し。いずれにせよ、このステップ、プロセスを踏まない限り、民主党及びその所属議員の未来は開けていかない。
小沢氏と言えば、私が初当選をした時の、通常国会冒頭の代表質問が印象に残っている。その時(2003年1月)、小沢氏は自由党党首として「日本一新11法案」を提案した。「特殊法人は原則として三年以内に廃止または民営化」「消費税は全額、基礎年金・高齢者医療・介護などの財源に」「地方を300の市に再編し国から地方への補助金を使途を限定しない一括交付金として配分」「集団的自衛権は否定し国連中心主義で率先して国際貢献」等々。いずれも私の考え方に沿う具体性を持った提案だった。
理念や政策軸で政党を組織し、政界再編も行うべきという私のような政治家にとって魅力のある提案だった。ただ、どうしても小沢氏の持つ負の側面について、直接会って問いただす機会がないまま、いつしか「小沢一郎」という政治家のことも過去のものとなっていた。負の側面とは、よく言われるように、「傲慢」「我が儘」「独裁」「上意下達」「壊し屋」「利権政治家」「土建屋締め付け選挙」「側近政治」「雲隠れ」「側近離反」「説明責任を果たさない」等々。
その後、小沢氏がどう変わったのか、変わっていないのか。少なくとも、代表選の演説をはじめ、記者会見やインタビュー等で、「日本一新法案」を聞いた時のような感動はなかった。「変える」「変わる」と言うだけで、何も具体的な政策、新味のあるものがなかった。「共生」とか「公正な社会」をめざすというが、何もそれらは小沢氏の専売特許でもない。「政権交代こそが構造改革」で、ラストチャンスとして政治生命を賭けるとの意気込みは良くわかったが、言葉なら何とでも言える。
波乱が予想された執行部人事は無難だった。対抗馬の菅氏も代表代行として処遇し、その他の執行部は若手代表の政調会長も含め留任させた。とにかく9月の代表選までは「波風立てず」ということだろう。小沢民主党がその本性、正体を本当に現すのは、その後ということになる。そして、来年夏の参院選の結果が否応なくそれを評価し、いよいよこの党の命運を決める。
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