コンプライアンス革命とは?・・・陸続する事件
2006年2月 6日 tag:
1月29日(日)、我が桐蔭学園で、地元ロータリークラブ主催の「コンプライアンス革命」と題したシンポジウムが開かれ、私もパネラーとして参加した。コーディネーターは、桐蔭横浜大学コンプライアンスセンター長の郷原信郎教授である。
「コンプライアンス」と言えば、「法令遵守」と訳すのが通例だが、郷原教授によると、それは間違いで、あまりにそれを強調しすぎると「事なかれ主義」の蔓延を招くという。それでは、本当のコンプライアンスとは何か。それは一言で言えば「社会的要請への適応」ということになる。
その意味での「コンプライアンス」が一番当てはまるのが行政、官僚、役所の世界だろう。確かに、あまりに「法律による行政の原理」、すなわち「法令遵守」を杓子定規に実行すれば、行政学で言うところの「法規万能主義」「先例踏襲主義」「形式文言主義」に陥り、いつのまにか法令遵守、文言遵守が自己目的化する。そして、これが「書式主義」とリンクすると、おびただしい量の許認可の申請書類等に象徴される「REDTAPE」(過重な文書主義)と化す。さらに、法規だけでなく内規や所掌規程による仕事の分担を厳格に解することで、窓口のたらい回し等の縦割り主義(セクショナリズム)が生まれ、役所自体が時代に乗り遅れていく。
本来、行政はサービス、役人はパブリックサーバント(公僕)なのに、国民に対し冷淡、横柄な態度になりがちで、いつのまにか、法律は何のためにあるかという、国益の増進、国民利益の増進という観点が抜け落ちてしまう。まさに役所には、「社会的要請」とは何かを常に問いただす「コンプライアンス」が必要だ。
これが民間会社だとどうだろう。ライブドア事件や耐震偽装等でも色々な説明ができるとは思うが、これらの事件は社会的「コンプライアンス」以前の問題だろう。前者は、「株価操作」「利益水増し」「粉飾決算」「情報開示のない投資組合活用」等で投資家をあざむき、後者は構造計算の偽造が原点だから、そもそも単純な法令違反の事例だ。
しかし、考えてみると、この「資本主義」の世の中では、ある意味で、「ギリギリのところ」を狙う、誰もやっていない未知の領域に踏み込むということで、「お金儲け」することが前提とされている。先見性をもって革新的技術を開発し、そこに先行投資し、先行者利益を得ていくことは当然のことだ。
問題は、そうした先駆的、革新的な分野ほど、そこには法令がない場合が多いということだ(「法令の後追い性・不完全性」)。だからこそ、この資本主義社会では、「法令遵守」だけでは乗り切れないとも言える。誤解を恐れずに言えば、「塀の内側に落ちるか外側に落ちるか」の分水嶺が、経営者としての職業倫理、社会的要請が奈辺にあるかという研ぎ澄まされた感覚、すなわち真の意味での「コンプイラアンス」ということではないだろうか。
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