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江田けんじ 衆議院議員 神奈川8区選出(横浜市青葉区・緑区・都筑区)

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いつもながらの稚拙な外交・・・東アジアサミット

2005年12月19日  tag:

 先般(12月14日)、「第1回東アジアサミット」が、マレーシアのクアラルンプールで開催された。サミットはASEAN(東南アジア諸国連合)加盟国が議長国・開催国となり、これに「+3」の日中韓とインド、豪州、ニュージーランドが参加する。

 EUをはじめ国際的に加速する地域統合の動きをにらみ、貿易・投資・金融・安全保障などの各分野での統合を推進しようとするものだが、相変わらず、その主導権をめぐって、豪州やニュージーランドなどの域外国を含めようとする日本と、否定的な中国などとの駆け引きばかりが目立った、空虚なものに終わってしまった。

 そもそも、この構想は、1990年代初めにマレーシアのマハティール首相(当時)が提唱したことに端を発する。東南アジアの、ともすれば無視されがちな小国の声を、日本、中国などの域内大国の力を借りて、欧米先進諸国の考え方に反映させようとするものであった。

 にもかかわらず、当時の日本の対応は、いつもながらの対米追従であった。いくら建前では「アジアの中の日本」を外交の基本にすえていても、「米国も太平洋国家の一員だ。この構想は太平洋に一線を画するもの」と、人種差別論議まで出して反対する米国の前に、為す術がなかったのである。そして、散々、 ASEAN諸国に難癖をつけた挙げ句、構想自体を店晒しにするという、最もアジア諸国の尊敬に値しない結果に終わらせたのである。ちなみに、当時から、中国、韓国は、この構想に賛成の意を表明していた。

 もちろん、当時の米国の真の意図は、アジア太平洋秩序の形成を、一部でも米国抜きで図られてはたまらないという、強烈な国益意識であった。今回のサミットこそ、さすがに米国抜きで行われたが、日本がとった態度は、相変わらず、豪州やニュージーランドの参加にこだわり、米国の、それを通じて自国の価値を反映させたいという意図への、必要以上の配慮であった。それは、外務省高官が、常に、本件で米国の了解を得ながら事を進めたことからも明らかである。

 日本は、紛れもないアジアの一員である。アジアはアジアであって、何も、豪州やニュージーランド、ましてやロシアや米国を入れて、「アジア太平洋」と人為的に地域をくくってみせる必要もない。それにこだわるなら既にAPEC(アジア太平洋経済協力会議)があるし、米国自体が、太平洋に一線を画し、カナダ、メキシコと共に域内経済圏・NAFTA(北米自由貿易協定)を形成している。

 東南アジアは多様性を持つ国家群とはいえ、ある程度、日本や中国、韓国などと経済社会的、歴史的文化的関係を持ち、その有意さは、それ以外の国々との関係とは質的に異なるものだ。そのようなアジアの何カ国かを、全体として「東アジア」として括ってみることは、それなりに意味があることである。

 東アジア諸国だけでは日本への信任が得られず、中国との主導権争いに勝つために域外国を入れようなどという了見に至っては論外だ。戦前の「大東亜共栄圏」と異なり、我が国の方からではなく、アジアの方から求められて地域経済圏構想を持ちかけられても、対米配慮からその期待に応えられない日本。そういう国が、「アジア諸国の尊敬を得たい」、「アジア諸国のリーダーになりたい」と言ってみたところで始まらない話なのかもしれない。

 サミュエル・ハンティントンが「文明の衝突」で言うように、既に文化、文明的に孤立している日本は、小泉外交とも相俟って、今後は、経済的にも孤立の道を歩んでいくのかもしれない。

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