省昇格!防衛庁の悲願実現へ
2005年12月12日 tag:
与党内で、次期通常国会での、防衛庁の「省」昇格のための防衛省設置法案の提出がほぼ固まったようだ。まだ異論はあるものの、これまで慎重だった公明党が方針を転換したことが大きい。
現在の防衛庁は内閣府の外局と位置づけられ、その主任の大臣は首相であるが、それが「省」になれば「防衛大臣」となる。そうすれば、防衛出動など自衛隊の運用、法律制定、幹部人事等について、内閣府を通さず直接、閣議を求められる。また、予算要求も財務省に直接行えるし、省令(現在は内閣府令)も独自に制定でき、事務簡素化、迅速化につながるとも言われる。
しかし、現実問題、庁が省になっても実態はほとんど変わらない。せいぜい、自衛隊員や職員の士気向上が期待できる程度だ。ただ、その政治的意味は大きい。
この問題は、当然、私が首相秘書官として担当した中央省庁の再編時(97年秋)にも大議論になった。この問題と大蔵省改革だけが最終決着せず、延長戦にもつれ込んだほどだった。
これまでの私の安全保障観、対外政策からすると意外に思われるかもしれないが、私は、拙著「誰のせいで改革を失うのか」(99年12月・新潮社刊)でも述べたとおり、「防衛省」賛成論者である。ただ、自民党の一部議員のような、ある意図を背景に持った積極的賛成論者ではなく、何かの節目に、例えば、中央省庁の再々編時に、やるならやればいい程度の賛成論者だ。
その際は、防衛庁を、その内実をそのままに防衛省に格上げすべきである。アジア周辺諸国の懸念という状況判断、政治判断から、中央省庁の再編時には引き続き防衛庁に据え置かれたが、組織人員も権限、所掌事務も全く変更ないことを良く説明して、理解を得るべきである。
そもそも、一国の行政組織の問題は純粋に内政問題であり、諸外国の干渉すべき問題ではない。国の防衛というのは、どこの国にも認められた当然の国権の行使であり、それにふさわしい名称が与えられるべきで、いたずらに政争の具やイデオロギー論争の対象にすべきではない。
しかし、この問題は、当時の自社さ政権の下で、不幸なことに、イデオロギー論争、政争の標的にされた。もう一度冷静に議論してみるに値する問題である。行革会議最終報告(97年12月)でも、防衛庁のあり方は、別途安全保障政策の観点から再検討することとされた。
言いたいことは、「省」論者が「タカ」で、「庁」論者が「ハト」という次元の問題ではないということである。殊更、そういう捉えられ方しかされないところに日本の不幸がある。私も「省」を支持するからと言って、憲法の「平和主義」を守り、我が国が「専守防衛」に徹することにつき、人後に落ちる者ではない。行政組織論として、これだけの枢要な権限と人員を有する組織は「省」であるべきという簡単な理屈による。
仕事の中身が変わらないのなら名前をわざわざ変更する必要はない。いや、仕事の中身が変わらないからこそ、名前を変えても諸外国の懸念には及ばない。理屈としてはどちらも成り立つ。つまるところ、すぐれて政治的判断の問題なのである。
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