「せんせい おはよう」が私の基礎をつくってくれた・・・母の唯一の猛特訓
2011年9月 7日 tag:
私が幼少、小学生の頃、父も母も「勉強しろ」とか「塾へ行け」とか一切言わなかった。岡山の田舎育ちで小学校のクラスもたった一つ。スポーツ少年団に入って「たんぼで野球」三昧の生活を送っていた。私が今でも風邪ひとつひかない身体でいられるのは、この頃の鍛錬が大きい。
ただ、今でもはっきり覚えているのは、私が小学1年生の時、毎晩毎晩、夜の10時まで、ひたすら母の指導で「せんせい おはよう」と書かされたことだ。一年生に毎晩10時まではつらい。しかし、母は時には怒声をまじえながら、私にそれを強いた。
それは「硬筆習字展」への応募のためだった。「習字(筆)」ではなく、2Bの鉛筆で一枚の紙に8つのマス目、そこに「せんせい おはよう」と書くのだ。何枚も何枚も書いては破り書いては破りの連続だった。その結果、最優秀にはならなかったが、その次の賞をいただいた。
あとにもさきにも母が私に「特訓」を強いたのは、この時だけ。あとは放任の母だった。おかげで、字は比較的きれいに書けるようになった。ただ、それよりも何よりも、幼少の私に「頑張れば良いことがある」と思い知らせてくれた。1年生にはきつかったが、眠い目をこすりこすり「規律」というものも知った。それは母なりの「しつけ」だったのかもしれない。
その後の私は、勉強といっても塾には行かず、ひたすら自分で参考書を買い、自分で計画表をつくり、自分で勉強した。今から思えば、この小学校1年生の母の猛特訓が、その基礎を作ってくれたように思える。
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