2011年7月20日
いつもながら、政権浮揚のためならなりふり構わない菅首相は、早々に、「なでしこジャパン」が帰国した、その日に官邸に招待し、こう言ったという。 「私もやるべきことがある限りは、諦めないで頑張らなければ
2011年7月20日
20日(水)10時25分~11時まで、第二次補正予算の質疑にたち、主に、菅首相の「脱原発」の本気度を確かめたが、案の定、それは「思いつき」でしかなかった。 総理だから細かい所までは要らない。しかし
2011年7月15日
古賀茂明。私が旧通産省に入ったのが昭和54年。彼は一年下の後輩だった。若い時からそうだが、彼はいつも沈着冷静、政策志向で官僚や政治家にありがちな生臭い所がない、まじめな男だ。 今は、M事務次官の退
2011年7月 8日
「組織」というものを知らない政治家に、内閣とか霞が関という大きな組織を動かせるわけがない。動かせたとしたら、その人は天才かスーパーマンだろう。当たり前の話だ。 それでは組織を知る人とは何か。それは
2011年7月 8日
橋本政権が終わると同時に、私は総理秘書官を最後に官僚を辞め、単身ハワイに渡った。その辺の詳しい事情は「誰のせいで改革を失うのか」(新潮社)に書いた。 辞めた後は「南の島へ行く!」と広言していたから
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