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経済産業省の解体・・・橋本行革時、総理に進言

2011年8月 5日  tag:

 原発事故対応への不手際や数々の不祥事を受け、「経産省解体論」が叫ばれている。

 実は、私は、中央省庁再編時の絵姿を描いていた時、橋本首相に「通産省解体論」を進言していた。その詳細は「誰のせいで改革を失うのか」(新潮社・99年)に詳しい。

 要は、戦後、「通産省と日本の奇跡」(エズラボーゲル・ハーバード大教授)とまで評価された「世界に冠たる行政指導」「日本株式会社の司令塔」的機能は、欧米にキャッチアップした頃から不要となり、いわゆる「業所管行政」=ミクロの産業政策は不要となったという基本的認識に基づいていた。

 したがって、当時の経済企画庁を母体に、通産省のセミマクロ(業界横断的)施策部門を統合し「経済省」とする。特許庁と貿易保険は独立行政法人にし、資源エネルギー庁は、その危機管理的、横割り的性格に着目して内閣府に移管するという案だった。

 今の政府にマクロ経済を所管する単独の省庁がないのはいびつだということもある。旧経企庁の大部分は経済財政諮問会議の事務局(内閣府)に移管されたからだ。

 「経済産業省」の「経済」は官名詐称である。マクロ経済を所管してない官庁が「経済」を冠する。ただ、それが通産省の長年の悲願だった。原案は「産業省」だった。それが土壇場で、当時の山崎拓政調会長が、通産省の強い意向を受けねじこんだ。

 当時は、こんなことまで、通産省出身の総理秘書官・江田がやったことと批判された。通産省の「焼け太り」は、すべて江田が省益のためにやったこと。通産省も江田のせいにすれば万事うまくおさまると、意図的に政治家や他省庁に吹聴して回った。

 しかし、実は官邸で私がやろうとしていたことは、それとは真逆のことだった。その動きは、当時の通産省首脳なら皆知っていたことである。

 私が橋本政権終了と同時に辞表を総理に出し役所を辞めたのは、「省益より国益のために働いた」という「ささやかながらのプライド」からだった。

 

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