連載 ●政界のキーマンに聞く● 第2回
新しい政党政治を構築するコアとして「この指止まれ再編」を目指します!
江田 憲司
みんなの党幹事長
〔江田憲司氏のプロフィール〕 昭和31年、岡山県生まれ。同54年、東京大学法学部卒業、通商産業省入省。海部・宮沢内閣のもとで首相官邸に出向し、総理演説・国会を担当。その後、平成6年、橋本龍太郎通産大臣秘書官、同8年、橋本総理大臣秘書官。橋本内閣総辞職と同時に退官し、同12年、衆議院議員選挙に落選。同14年、衆議院議員補欠選挙に無所属で当選。同15年、再び落選するも、同17年の郵政選挙で2回目の当選。同21年8月、渡辺喜美氏らとみんなの党を結成し、衆議院議員選挙で3回目の当選。現在、みんなの党幹事長。
参議院選挙の躍進の要因は民主党への失望と経済政策
――昨年結党したばかりのみんなの党は、7月に行われた初の参議院選挙で大躍進を遂げました。みんなの党の幹事長として、この躍進をどう総括されていますか。
江田 おかげさまで10人の新人議員を当選させていただきましたが、その要因の1つは、有権者の中に民主党の政権運営に対する失望感があったことです。私たちは昨年夏の結党以来、脱官僚、地域主権をぶれることなく訴えてきました。1年前には民主党も、天下りの禁止や公務員制度改革などを訴えていましたが、参議院選挙前には菅総理が消費税増税論を打ち上げるなど、政策的にぶれが出てきていました。そこで私たちは、選挙戦のキャッチコピー的に言えば、「増税の前にやるべきことがあるだろう」と、国会議員や役人がまず身を切る必要があることを訴えたわけです。それに多くの有権者の皆さんが賛同していただいたということです。
もう1つ、あまり認識されていませんが、私たちがデフレ脱却と経済成長戦略について強く訴えてきたことが、かなり評価されたと思っています。選挙前にメディアが投資家や上場企業の部課長に行った支持する政党の調査結果を見ると、たとえばロイターではみんなの党が50パーセントで第1党、「日経ビジネス」では民主党に次いで2位でした。これは私たちが主張してきたデフレ脱却政策、経済成長戦略が評価されたからです。
短期的なデフレ脱却のためには、積極的な金融政策を発動すべきであり、そのための日銀法の改正を用意していることを訴えました。また、中長期的な経済成長戦略の面では、今後10年間でアジアに800兆円のインフラ需要があるという、アジア開発銀行の試算に基づき、そのうち200兆円を、日本の経済協力、円借款のスキームを変えて内需化していくことを提案しました。
――200兆円分のアジア各国のインフラ整備を、日本企業が請け負うことができれば、日本経済にとって大きいですね。
江田 発電所であれ、上下水道であれ、日本の技術力は世界でトップです。日本企業がタイド(ひも付き)で協力することは、相手国にとっても、日本にとってもメリットがある。いわゆるウイン・ウインの関係が構築できる。他党もアジアのインフラ整備には着目していますが、具体的な政策を提示しているのは私たちだけでした。
中長期的な経済成長戦略として、もう1つ挙げるとすれば、規制改革です。すでに医療には医療法人が、農業には農業法人が、福祉には福祉法人がありますが、とにかく縦割りでがちがちに規制をかけ、役人の天下り先にしている。この規制を抜本的に改めるべきです。これらは成長が見込まれる分野ですから、例えば社債を発行して資金調達できるようにすれば、この成長分野がもっと活性化して、新規参入も進み、経済成長に寄与するはずです。また、法人税も他の先進国並みの20パーセント台まで軽減することも公約に入れました。
民主党政権に欠けている組織のマネジメント能力
――民主党に対する失望感と、日本経済の閉塞状況からの脱却に対する期待感が、みんなの党の躍進につながったという総括ですね。
江田 参議院は現有議席1に新議席10で、11議席となり、参議院では単独で法案提出ができるようになりました。秋の臨時国会では、私たちがアジェンダ(政策課題)として掲げた政策を法案化して、10本ぐらい提出する予定です。それぞれの法案ごとに、クロス連合すなわち与野党を問わず手を組めるところと組んで、成立を期したいと考えています。
――ところで、江田さんご自身の民主党政権に対する評価はいかがですか。
江田 政策の問題はさておき、とにかくガバナンスの欠如がどうしようもない。組織のマネジメント能力に欠けている。民主党には頭脳明晰な人もいるでしょうし、政策に長けた人もいるでしょう。しかし、会社であれ、役所であれ、どんな組織にもそれを動かしていくマネジメント能力が欠かせません。ましてや政権につけば、霞ヶ関という超大企業の、プライドの高いエリート集団を統率し、使いこなしていく能力が求められます。従来の自民党政権時代にも、その能力が欠如していましたが、民主党は自民党よりその能力に欠けています。政策の問題も挙げればきりがありませんが、それ以前にガバナンス能力、マネジメント能力に欠けている。
――しかし、民主党政権は続き、みんなの党としても、ねじれ国会という状況のもとで、クロス連合を模索していかなければなりません。成算はありますか。
江田 先の参議院選挙後の臨時国会では、議員歳費の日割り法案が成立しました。あれは私たちが真っ先に提案したものです。私も各党の幹事長を説得したり、メディアで訴えたり、いろいろ努力しました。その結果、最初は消極的だった民主党や自民党も承諾し、成立に漕ぎ着けることができた。これは、世論の支持を得て法案を成立させるリーディングケースだったと思います。いつも上手くいくとはかぎりませんが、国民が支持する政策や法案を打ち出せば、それが実現できる可能性が高まる、という自信が深まりましたね。
ただ、党利党略的な背景から、どうしてもまとまらないケースも出てきます。その場合は、なぜ私たちの案に反対なのか、その理由を国民に情報公開して、どちらが正しいか、国民に軍配を上げてもらう。そういう透明性のある国会運営にしていきたいと思います。
総選挙に100人以上擁立し一気に政権入りを果たす
――9月初めに伊東市で開かれた勉強会で、民主党との連立はない、政界再編のコアになる、といったことを確認されたようですが、政界再編への展望は。
江田 私は民主党政権は長くないし、遅くとも1年以内に総選挙があると見ています。表面的にはともかく、民主党には今回の代表選挙で大きな亀裂が走っています。その意味では、みんなの党が結党宣言に書いている政界再編シナリオは、加速度的に進んでいます。私たちとしては、私たちのアジェンダと志を同じくする人たちを、与野党を問わず糾合していく必要があります。
現状では数が足りないわけですから、どんどん新しい血も入れていく。私たちの結党の精神は、既成の政党や政治家にはもう頼らない、永田町に新しい血をどんどん入れていく、ということでした。ですから今、次の総選挙に100人以上の候補者を擁立できるよう、選定作業を進めているところです。既成の永田町のしがらみや、旧い考え方にとらわれない有為な人材を取り込みたいと思います。
――1年以内の総選挙を想定して、100人以上の候補者を選定しているというのは、すごいですね。
江田 100人以上立てて、50~70議席を獲得すれば、政策協定を結んで政権に入ることもできると思いますし、みんなの党をコアにした再編もできると思います。それによって、私たちのアジェンダを実現し、この国の政治も変えていくことができる。
――ただ、みんなの党は地方基盤が弱いという見方もあります。
江田 現在、全国的に候補者の選定を始めていますが、各地で希望者が殺到しています。神奈川県ではすでに20人程度の1次公認を発表していますし、他の地区でも多くの希望が来ています。ただ、勝ち馬に乗ろうという気持ちが先行し、政治家としての資質はいかがかという人もいます。悪貨を入れると良貨が駆逐されるという懸念もありますから、いま慎重にネガ・チェックをしているところです。
――みんなの党は上げ潮に乗っているところですから、1年以内に総選挙に持ち込みたいというのが本音ですか。
江田 私たちはまだ組織もおカネもありませんから、国民のバックアップだけが頼りです。だからこそ私たちは、国民の皆さまの胸にストンと落ちる政治をやっていきたいと思っているわけです。ですから、法案をどんどん出していって、どこまで国民の常識が通用するのか、国民の皆さまにも国会を注視していただきたいと思います。国民の皆さまが注目していれば、国会も理不尽なことはできない。その好例が先般の日割り法案です。こんな当たり前のことさえ国会は決められないのか、という国民の声に押されて、最後は民主党も賛成したわけです。私たちは当面、そういうやり方で政治を変えていくつもりです。
――その先に政権を見すえているというわけですね。
江田 ホップ・ステップ・ジャンプで政権を取るという青写真です。つまり、ホップは先日の参議院選。ステップが来年春の統一地方選で、ここで全国に草の根を張る。そしてジャンプが次の総選挙で、ここで政権を取る。今のところ、この青写真どおり順調に進んでいます。むしろ思い描いていたより早めにコトが進んでいる感じですね。
国民の思いは、与野党間の政争はもうやめてくれ、一歩ずつでもいいから政治を前に進めてくれ、ということだと思いますから、私たちは提案型、議員立法型の政治を推進し、国民の思いを実現する原動力になりたいと思っています。
総理秘書官時代に学んだ政治の世界を見る相場観
――みんなの党が政権戦略を実行していく場合、渡辺喜美代表のリーダーシップも大事ですが、通産官僚として王道を歩まれた経験を持ちながら、政治家として永田町のしがらみと一線を画してこられた、江田さんの役割も非常に重要になってくると思います。
江田 みんなの党は渡辺・江田のコンビで結党した党ですし、お互いに足らざる部分を補い合う関係です。口幅ったい言い方をすれば、クルマの両輪です。結党の経緯は、渡辺さんと私で永田町から飛び出し、市井に飛び込んで、新しい政治を志す国民運動から始めようじゃないか、ということでした。そこで昨年、北は留萌から南は福岡まで、全国10カ所を回り、新しい政治を訴えました。マスコミにはあまり注目してもらえませんでしたが、各地とも500人、1000人の人が集まり、ものすごい熱気でした。私たちは大きな手応えを感じるとともに、改めて覚悟、責任感を共有し、お互いに助け合っていかなければならないことを再確認しました。
結党宣言やマニフェストは私が書かせてもらいましたし、みんなの党という党名も私の発案でした。一方、渡辺さんのワンフレーズで人の心をつかむプレゼンテーションの上手さには、余人をもって代え難いものがあります。お互いに長所・短所はありますから、大事なことは、役割分担をしながら助け合っていくということでしょうね。
――江田さんは通産官僚時代、橋本龍太郎通産大臣、総理大臣の秘書官を務めたあと、政治家の道に入られたわけですが、総理秘書官を経験されたことは、大きかったんじゃないですか。
江田 総理官邸にいた経験は大きいですね。私自身はまだ年端のいかない若造でしたが、総理秘書官という仕事は、総理と同じ目線に立たないと、総理を支えられませんからね。総理秘書官となり、官邸に入って、総理と同じ目線で仕事をさせていただいたことによって、山の頂から政治の世界の鳥瞰図を見ることができたような気がします。現在の私の政治の世界を見る相場観というのは、そのときの経験がもとになっています。それは良くも悪くも言えることです。
――悪くも言える?
江田 悪い面で言えば、若い頃に総理に手を引かれて山の頂に登り、そこから政界の裏表を見てしまった。人間というのは、先が見えないからがんばるとか、山の頂から眺める景観を楽しみにして、一生懸命山に登ろうとする部分がありますが、私には何かタイムマシンに乗って未来を先に見てしまったような気分が、まったくないとは言えない(笑)。
しかし、官僚国家日本を変えようとか、公務員制度改革をしようとか、天下りを禁止しようとか、企業団体献金を禁止しようとか、そういうことを考えるに当たって、できる・できないの相場観を持てるようになったという意味では、総理秘書官は得難い経験だったと思います。ふつう私のような当選3回の国会議員では、永田町・霞ヶ関はうかがい知れない世界ですからね。
理念、政策すら合わない日本の政党政治は偽物
――官僚OBの政治家は多いですが、総理秘書官を務めた人は少ないですね。
江田 私は通産官僚として霞ヶ関に20年いましたが、実はその間、総理官邸に2回、通算5年ほど出向しています。海部・宮沢内閣時代に内閣副参事官というポストで官邸に出向し、総理の施政方針演説の下書きなどを書いたりしていましたが、その間、海部内閣のときにイラクがクウェートに侵攻して湾岸戦争が勃発し、日本が総額130億ドルの支援をしたのに、国際的に評価されなかったというトラウマを経験しました。また、宮沢内閣でPKO法案を通すときには、加藤紘一官房長官らと官邸に泊まり込んで、野党の3日3晩の牛歩戦術に対応したこともありました。
橋本総理の秘書官を務めたときには、中央省庁の再編、いま話題の普天間基地返還を含む日米新安保宣言、それに基づく周辺事態法の策定、ペルー日本大使館人質事件とか、いろいろ経験させていただき、政界や官界の相場観を身につけることができました。その相場観に立って政策を打ち出せるというのが、私の政治家としての強みだと自負しています。
――そういう幹事長がいるのは、みんなの党の強みでもありますね。
江田 私がみんなの党のアジェンダや政策、法案をつくるとき、私の相場観から見て、できると思うことしか書きません。その点、民主党の方々は野党経験が長かったので、そうした相場観がわかっていらっしゃらないと言いますか、どのボタンを押したらコーヒーが出てきて、どのボタンを押したらジュースが出てくるのか、そのメカニズムがよくわかっておられない。
そういう意味では、橋本内閣の2年7カ月間、総理に密着して仕事をさせていただいたことには、とても感謝しています。橋本内閣は細川政権、羽田政権、村山政権の後に誕生した、久々の本格政権と言われました。古い伝統的な自民党政治でしたが、5大改革、6大改革と言われた、今で言う構造改革に積極果敢に取り組みました。その中枢で改革の難しさ、古い自民党政治の限界を学ぶことができたのは、私にとって幸運でしたね。
――江田さんは橋本総理が退陣された後、通産省を辞めて、政治の世界に転身されたわけですが、最初に自民党公認で落選されるとすぐに自民党を離れて、ボランティアを軸とする無党派選挙を実践され、無所属で政治活動を展開してこられました。その間、さまざまな問題について質問主意書を提出して追及されるなど、無所属議員としても立派に政治家の責務を果たしてこられました。最近では非常に希有な無所属議員でしたね。
江田 私はこの約30年間の官界・政界での経験から、日本の政党政治の正体というものを、明確につかむことができました。はっきり言って、自民党も民主党も政党の名をかたってはいますが、政治理念、基本政策すら合わない人たちの寄り合い所帯にすぎません。今の日本の政党政治は偽物です。1990年代以降の政界再編を振り返ってみると、端的に言えば、小沢さん好きか嫌いかみたいな人間関係で離合集散を繰り返してきた歴史がある。
政党というものは、基本的な政治理念、政策が一致する人たちが集まり、その実現に向けて全力投球するところに成立するものです。日本の政党政治はそうなっていない。私は政党政治を否定して無所属を貫いてきたのではなく、従来の政党が本来の政党の態をなしていないから、無所属だったのです。
地方主権型道州制の導入でこの国のかたちを変える
――江田さんの相場観に耐えうる政党がなかったわけですね。
江田 無所属時代、自民党、民主党のトップクラスの人から、執拗に誘われましたが、すべてお断りしました。今の自民党、民主党では、いくら政権交代したとしても、重要な政策課題であればあるほど、前に進まないと思います。重要な政策課題に正反対の意見を持つ人たちが同居しているわけですから。小泉さんの郵政解散はその象徴です。あれだけ郵政民営化をやるんだと叫んでいる人を総理・総裁に選んでおきながら、いざ法案を通す段になると造反者が多数出て、法案を否決させる。その結果、総理・総裁が700~800億円かけて解散・総選挙に持ち込まないと、一歩も前に進まない。これはまさに政党政治の破綻ですよ。
私はよく言うのですが、たしかに1990年代は政治の腐敗・スキャンダルの時代でした。しかし、今の政治は腐敗・スキャンダルのみならず、政治そのものが劣化しています。別の言葉で言えば、政党政治の機能不全です。これは1度リシャッフルして、政治理念や基本政策的にしっかりとした背骨が通っている政党を2つ、3つに再編しないと、日本の政党政治は機能しませんよ。みんなの党が脱官僚、地域主権を柱とした明確なアジェンダを掲げたのも、そういう狙いからです。
みんなの党は新しい政党政治を構築する1つのコアとして、「この指止まれ再編」を目指しています。そのためには、既存の政治家を糾合する道もありますが、既存の政治家に頼るだけではなく、次の総選挙で100人以上の候補者を立て、自前で新たな血を日本の政治に導入し、再編のイニシアチブをとろうとしているわけです。
――NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が佳境に入っていますが、若い下級武士が明治維新をリードしたように、みんなの党が日本の政治の新たな夜明けをリードするという気概を持っているということですね。
江田 目指すは平成維新ですよ。昨年の政権交代は維新ではありません。まだ幕藩体制のままですよ。その証拠に、天下りの禁止や予算の総組み換えをあきらめ、安易な消費税増税を打ち出した菅政権は、まさに官僚主導、財務省主導政権じゃないですか。
私たちは財務省主導の官僚政治から脱し、地域主権型の道州制を提言しています。私たちが主張している小さな政府というのは、国の権限・財源・人間の「3ゲン」を、徹底的に地方の市町村に下ろし、国民の身の周りのことはほとんど市町村で決定するということです。どうしても市町村でできない高速道路などの広域インフラの整備、災害対応、産業政策などは道州でやる。さらに道州でもできない外交、安全保障、社会保障・教育などのナショナルミニマムは中央政府で担当する。
財源・税源の配分面から言えば、市町村が5割、道州で3・5割、国は1・5割ですよ。消費税も地方に移します。こうすれば、地域格差の是正も図れますし、この国のかたちは抜本的に変わります。官僚の抵抗は覚悟の上です。私たちはそういう国のかたちを見すえながら、脱官僚、地域主権を訴えているのです。すでに道州制の工程表はできています。
若手官僚を味方につけ霞ヶ関改革を推進する
――江田さんは官僚出身ですから、現役官僚に同期の仲間もいらっしゃると思いますが、「お手柔らかに」とか言われませんか。
江田 いやいや(笑)、官僚1人ひとりは優秀ですし、立派な見識を持っている人が多いですよ。ただ、どの組織も同じですが、組織となると組織利益というものが出てきて、組織防衛に走るわけです。これはやむを得ない面もあります。ただ、はっきりさせておきたいのは、私たちは官僚バッシングを行っているのではない、ということです。霞ヶ関に国民の信頼を取り戻し、霞ヶ関を誇りの持てる職場にしないと、国家・国民のために働く良い人材が集まってこない。
私が1979年に通産省に入った頃は、日経連の桜田武会長から、「日本は政治は三流だけれど、官僚が一流だからもっている」と言っていただいた時代でした。私の同期は25人いましたが、「天下りしたい」などと言うヤツは1人もいなかった。国家・国民のために働きたいと思って官僚になったヤツばかりでした。私は当時、官房総務課というところで、法律をいっぱい作っていましたが、月に200時間を超える残業をやり、残業手当は一律2万円でした。時給100円の世界です。それでも文句1つ言わずにがんばれたのは、官僚は一流という評価があり、国民に信頼されていたからです。
しかし、今の官僚は、官僚でいること自体が犯罪者扱いです。天下りを禁止したら旨みがなくなって良い人材が集まらないというのは逆です。いま必要なことは、官僚自らが身を切ることです。政治家に言われるまでもなく、メディアに指摘されるまでもなく、官僚自らが天下りをやめ、ムダな補助金・団体・許認可を廃止しなければ、国民の信頼は取り戻せないところまで追い込まれています。誇りの持てない職場に良い人材は集まりません。
若い20代、30代の官僚には、まだ青雲の志はあります。私たちは、彼らがその志を退職まで持ち続けることができるようなシステムにしよう、と言っているのです。それに賛同してくれる若手官僚は、本当に多いですよ。ですから、私たちが政権に入ったときには、分断統治といって、幹部クラスには期待しないが、中堅以下の志を持った官僚を味方につけて、霞ヶ関改革を進めていくつもりです。 (9月7日・インタビュー)
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